大阪市北区に天満というところがある。その天満に「与力」「同心」という町名がある。江戸戸時代に奉行所の役人のお屋敷があったところである。江戸では北町奉行所と南町奉行所が1カ月交代で月番制がとられていたが、ここ大坂では東町奉行所と西町奉行所が1カ月交代の月番である。
東西の奉行所には、奉行(旗本)1人、与力30人、同心50人がそれぞれ配属されていた。石高は与力は80石、同心は10石3人扶持。屋敷は与力が500坪、同心は200坪というから、かなり広い。与力は馬に乗ることも許されていた。
もちろん、たったのこれだけの人数で、広い大坂の治安は維持できないから、同心の下には多くの「岡っ引き」あるいは「目明し」がいた。岡っ引きで一番有名なのは銭形平次(架空の人物で実在しない)であろう。彼らは武士ではなく町人で、俸給はなく同心のポケットマネーから「小遣い」程度の謝礼が支払われていた。一人の同心が何十人もの岡っ引きを抱えていたらしい。事件があるたびに岡っ引きが集められ、十手が渡される。銭形「親分」と呼ばれるように、岡っ引きはかなり裏社会に通じていたらしい。そして、岡っ引きと呼ばれる親分もまた、配下に何人もの部下を持っていたようだ。
東町奉行所は大坂城の近く(現在の大手町)にあったから、彼らは天満にあった官舎から天満橋を渡って奉行所まで徒歩で通勤したのであろう。距離にして1.5キロくらいか。歩いても20分ほどの距離だ。彼らは町奉行を補佐し、行政・司法・警察の任にあたった。
ところで、今のマンションに入居する前に1年ほど与力町の賃貸マンションに住んでいたことがある。日本一長い天神橋筋商店街から100メートルほどのところにあり、買い物は非常に便利だった。環状線、地下鉄などに歩いて数分で行け、アクセスもよい。また、近くには、大阪天満宮や造幣局、帝国ホテルなどもあり、夏の天神祭のときは、たくさんの人出でにぎわう。1年間住んでみて、本当にこの街が気に入った。
そうしたこともあって、去年、この近くに手ごろな中古マンションが売りに出されているのを知って買った。今は、某大手企業の社宅として賃貸に出している。相続税対策や財政破たんに備えるつもりで買ったのだが、大好きな街だからいずれ自分で住んでもいいかなと思っている。