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南英世の 「くろねこ日記」

火垂るの墓

(「火垂るの墓」のモニュメント)


2009年5月3日に描いたブログを、一部修正して再掲する。

今日は憲法記念日である。急に思い立って『火垂るの墓』(野坂昭如原作)の舞台となった神戸市御影に行ってみたくなった。阪神電車に乗って、御影で鈍行に乗り換え一つ目の石屋川駅で降りる。石屋川はきれいに整備された小さな川である。

川のすぐほとりに、「火垂るの墓」のモニュメントがあった。アニメに出てくるシーンの一つが描かれている。長い間、空に光っているのは蛍だとばかり思っていたが、あるとき、それが蛍ではなく焼夷弾だということを知って衝撃を受けた。



1945年6月、神戸は空襲にあった。焼け出された清太、節子の兄妹が親戚に身を寄せるが冷たい仕打ちに合い、防空壕付近の池のそばで二人で暮らし始める。しかし、食べるものもなく節子は衰弱死。清太も戦争が終わった1945年9月に三ノ宮駅構内で野垂れ死にして原作はここで終わる。

野坂昭如は語っている。「火垂るの墓は、ぼくの手の中で餓死した妹について書いた。ぼく自身の体験がもとになってはいる。妹が餓死したのは玉音放送から1週間後の8月21日。ぼくにとっては14歳の夏の出来事。実際の妹はまだ1歳4か月、喋れなかった。火垂るの墓を書くことで、戦争を伝えられるとは思っていなかったし、それは今も同じ」(2012年3月14日 朝日新聞夕刊)

あの本を読み、あるいはアニメを見て涙を流した人は多いだろう。
しかし、それでも戦争を伝えることはできないという野坂の言葉が心に刺さる。

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