教科書を執筆しているといっても、何から何まで知っているわけではもちろんない。書いていることの多くは一般的に言われている「通説」である。それを淡々と客観的に(正確に言えば客観を装って)記述する。
しかし、通説が真実かと言われたら、それはわからない。そのうち通説がひっくり返って別の説が正しいとされるかもしれない。50年以上も前、私が高校生だった頃、地学の授業で「熱い地球が冷えて収縮していく過程ででしわができた。それが山であり山脈だ」と習った。今から思えばとんでもない説である。しかし、当時はまだプレートテクトニクス理論がなかった時代であるから、それも仕方がなかったのかもしれない。
かつて田中角栄が「私は新聞を読まない。真実を知らない新聞記者があーでもないこーでもないと書いている記事なんか読むに値しない」という意味のことを言っていた。なるほど、プレス発表されるのは情報のごく一部だろうし、ましてや裏の密約などというものは決して表に出てくることはない。
同じように、教科書執筆者が持っている情報も、真実のごく一部に過ぎない。もし、もっと大切な真実が明らかにされれば、教科書に書いてある中身は吹き飛んでしまうだろう。あるいは、教科書執筆の指針となる学習指導要領が変われば、教科書の中身はガラッと変わってしまう。
いま改めてわれわれが知っている情報を検討してみると、その多くはアメリカ寄りの、アメリカによって「承認」された情報であることに気が付く。マスコミも学者も政治家もアメリカを批判することはしない。そんなことをすればアメリカからの報復を受けることを彼らは知っているからだ。
大量破壊兵器を所有しているのではないかという疑いをかけて戦争を仕掛けて、相手国の大統領を殺害し、調べてみたら大量破壊兵器の痕跡は全くなかったということがあった。それでもアメリカは謝罪しなかったし、アメリカを批判するマスコミはなかった。もちろん教科書も。
戦後、日本は過労死するほど頑張って高度経済成長を遂げた。その要因として一般的に教科書に書いてあるのは ①民間設備投資が活発であったこと、②高い貯蓄率があったこと、③良質で豊富な労働力が存在したことなどである。そのほかに、原油価格が安かったことや為替レートが割安だったことも挙げられる。
しかし、果たしてそれだけですべてが説明できるのか。日本の経常収支は1965年頃から黒字基調が定着したが、この期間に輸出が伸びたのはベトナム戦争の時期と重なる。ベトナム戦争による特需が日本の輸出をけん引したとも考えられる。
オイルショック(1973年)以降日本は安定成長期に移行したが、これはベトナム戦争が終わった時期とほぼ重なる。朝鮮戦争が日本に特需をもたらしたことは教科書に書いてあっても、ベトナム戦争と日本経済の関係については学者の研究すらほとんどない。さらに言えば、日本が経済発展できたのは沖縄の米軍基地と引き換えだったのではないか、という気さえしてくる。
結局、我々はアメリカ寄りの限られた情報だけでいろんなことを判断しているのではないか。アメリカというお釈迦様(アメリカがお釈迦さまだとは全く思っていないが)の掌の上に遊ばされているに過ぎないのではないか。ふとそんな思いに駆られる。
教科書にうそは書いていない。しかし、もっと大切なことが実は抜け落ちてているかもしれない。情報を受け取る際には、そこに書かれている以外の視点もありうることを忘れてはならない。それは教科書を読む場合も同じである。教科書が黒塗りにされたのは、わずか70年余り前のことである。
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