(広島生変図 1979年)
15歳で広島で被爆し辛くも死を逃れたものの、20代の後半で原爆症を発症した平山。しかし、彼は原爆を作品として描くことをひたすら避けてきた。
その平山が被爆から34年後の49歳の時に描いた作品が上の「広島生変図(しょうへんず)」である。炎に包まれた広島の天空には不動明王が配置され、あたかも「生きよ」と叫んでいるかのようである。平和への強い思いが込められた作品である。
平山郁夫というと「シルクロード」を題材にした作品が有名だが、実は平山の描くモチーフは多岐に及ぶ。たとえば、日本を題材にしたものとしては、日本列島誕生、藤原京、高野山、熊野路、法隆寺、薬師寺、厳島、金閣寺、祇園祭、奥入瀬、しまなみ海道などがある。
そのほかアジアを題材にしたものとしては、万里の長城、黄河、長安、アンコールワット、ポタラ宮殿、マルコ・ポーロ、パミール高原などがある。ユニークなところでは激しい戦火にさらされたボスニアを描いた「平和への祈り サラエボ戦跡」といったものもある。
平山はすべての行動基準は「美しさ」だと書いている(『ぶれない』より)。それは自分が画家だからというのではない。人生すべてにおいてこの基準に当てはめて考えるとほぼ間違いないというのだ。
人間は美しさを追求しながら生きている。木や花や草の自然から美しさを感じ取り、美しい音楽を聴いて感動する。美を判断基準とすることは自分が被ばくし、生死の境目をさまよったという原体験から生まれた哲学なのかもしれない。
もちろん、台風や地震といった災害によって美しさのバランスが壊されることもある。また、戦争によってせっかく築き上げてきた街が破壊されることもある。しかし、それでも人間はなお美しさを追い求める。
「三聖人 平和への祈り」が発表されたのは2002年である。キリスト、釈迦、ムハンマドの三聖人が世界地図を背景に描かれている。
前年の2001年にはバーミアンの大仏遺跡が破壊され、ニューヨーク同時多発テロが起きた。冷戦終了後、民族対立・宗教対立が激しくなる中で、世界平和への強い思いを描かずにはおれなかったのかもしれない。
(三聖人 平和への祈り 2002年)