2002年 佐藤優氏が逮捕された。罪状は「背任」と「偽計業務妨害」容疑である。東京拘置所での勾留生活は512日に及んだ。3年後の2005年、第一審判決として懲役2年6カ月、執行猶予4年が下された。(その後、この事件は最高裁まで争われ有罪が確定している)。
佐藤は公判中、一貫して「国策捜査」を主張した。佐藤によれば「冤罪はある人が偶然犯人にされてしまう」が、「国策捜査は狙いを付けた特定の人物を、国家が検察を道具に使って断罪すること」だという。この事件の背後にどういう政治力学が働いたのか。
国策捜査で大切なことは、「逮捕が一番大きいニュースであり、初公判はそこそこの大きさで扱われ、判決になると小さく、時間がたったらみんな忘れてしまう」のが一番いいやり方だそうである。それも実刑判決ではなく執行猶予を付けるように持っていくのだそうだ。なぜなら国策捜査の対象となるのはもともと能力のある人なので、うまい形で再出発できるように配慮するのである。それが「いい形」での国策捜査というものだそうである。
たしかに、当時、テレビは連日、北方4島のディーゼル事業で入札が三井物産に落ちるように鈴木宗男氏が画策したらしいというニュースを流していた。「ムネオハウス」という言葉を覚えている人も多いのではないか。その鈴木氏と親しかった佐藤氏も巻き込まれた。鈴木氏が逮捕されるとマスコミはこのニュースを大々的に取り上げ、国民は拍手喝采した。
ところが、ほとぼりが冷めた今、逮捕された罪状が何であったかを思い出すことすらできない。もちろん佐藤優氏も鈴木宗男氏も大活躍している。セオリー通りである。
当時、田中真紀子外相と鈴木氏は犬猿の仲だった。また、小泉純一郎総理は新自由主義へ舵を切ろうとしていたのに対して、鈴木宗男氏は公平分配論者だった。そんなことが関係していたのかいなかったのか。この本を読んでいてふと、小泉竹中政策を「売国政策」と批判して痴漢事件の犯人にされてしまった人を思い出した。
検察は都合の悪い証拠は提出しない。だから、狙いを付けた人物を罠にはめるのは難しいことではない。誰が「やれ!」と号令をかけ、誰が「撃ち方止めー」といったのか。同じ人なのかそれとも別の人なのか。真相は闇の中である。