学問というのは感動することが出発点だと思う。歴史の勉強も同じではないか。
しかし、私自身の体験を振り返って、歴史の授業を受けて感動したという覚えは、少なくとも高校時代には全くない。世界史の先生の「知識量」に感心することはあっても、分析の鋭さに感動した覚えはない。
そうした感動は、大学で習ったことの中にはあった。
一つは、慶応で西洋史を受講していた時である。先生がルネサンスを説明する際に、ギリシャ文化、中世、ルネサンスを漢字三文字で表せば「生」「死」「再生」だと言われた。
それまで「文芸復興」などと聞いても今ひとつピンとこなかったのに、この一言でスっと腹落ちした。ヨーロッパ2000年の歴史をったった三文字で表現できることに感動した。このことを教えてくださった先生(名前は忘れた)には今も感謝しかない。
もう一つは、阪大の竹中先生(西洋史)が講演の中でさらりといわれた言葉である。
「ドイツという国は、歴史上存在しないことのほうが普通なんです」。
これも衝撃的な一言だった。あの大国ドイツは存在しないことのほうが普通だったとは・・・。しかし、この言葉を聞いてから19世紀・20世紀のヨーロッパ世界が良くわかるようになった。
今の高校の歴史教育(とくに進学校)は細かいことばかり教えていて、生徒を感動させることがない。いや、感動させようという発想がない。もっと骨太の本質的なことを教えてはどうか。
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