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南英世の 「くろねこ日記」

二つのシュウカツ


スカイビルは就職説明会の会場となることが多い。だから、リクルートスーツを着た学生がたくさん集まってくる。今年は幸いにして、就職内定率は好調らしい。就職氷河期と言われたときには、教え子だった女子学生が20社受けて全部けられたなんて話を聞かせてくれた。

思えば、私が大学を卒業したのは1974年3月。前年に石油ショックがあったものの、まだ高度経済成長の名残があり、就職で困ることはほとんどなかった。みんな都市銀行や電力会社、大手企業、公務員などを希望する中で、私は「日本銀行」を受けた。募集人員は30名。前年、先輩のOさんが合格していたが、ほとんど東大しか採らないと言われている中での挑戦だった。

金沢で行なわれた1次試験、東京本店で行なわれた2次試験と合格し、最終面接まで進んだ。金沢大学から最終面接まで残ったのは法科のT君と経済学科の私の二人だけだった。「これは一人はとるつもりだな」とT君と話し合ったものだ。



最終面接は日本銀行の本店(写真奥の白い建物)の最上階で、日銀理事10名あまりがずらっと並ぶ中で一人ずつ行なわれた。面接時間は一人約15分。緊張のあまり何を聞かれたか何も覚えていない。結果は・・・・・・・・・
一緒に受けた法科のT君が合格し、私はあえなく撃沈した。

鶏口となるも牛後となるなかれ。いまとなれば、落とされてかえってよかったと思う。懐かしい人生の一コマである。



ところで、シュウカツにはもう一つある。
あれから44年が過ぎた。結局、国家公務員、民間の研究職を経て、32歳の時ようやく天職ともいえる高校教員になった。今67歳。家も買った。ローンもない。子どもも一人前になった。教科書も書いた。念願の著書も2冊書いた。囲碁も5段になった。やりたいことはみんなやった。そんなことからそろそろ終活してもいいかなと思うようになった。

わずかばかりの資産を一覧表にまとめ、死んだら誰が何を相続するか遺言にまとめた。死ぬとしたら多分「ガン」だろうと思って、末期医療についても無駄な延命措置を一切拒否する旨、一筆したためた。葬儀屋さんも決め、葬儀の仕方も遺骨の処分方法も指定した。

準備万端、あとはお迎えを待つばかり…。
しかし、そんな人間に限って長生きするのかもしれない(笑)。
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