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南英世の 「くろねこ日記」

社会主義というライバルの崩壊

 先日の高校3年生に出した中間考査の論文問題は次のような内容だった。

「政治学や経済学の目的は、なるべく多くの人が幸せに暮らせる社会を実現することである。産業革命以降、私たちの社会はどのように発展してきたか。スミス、マルクス、ケインズを中心に、政治・経済両面から論ぜよ」(配点50点、字数制限なし)

今までもスミス・マルクス・ケインズについて説明せよという問題は何回も出したことがある。しかし、今回は『政治・経済両面から論ぜよ」として、さらにグレードアップして出してみた。私の人生の中で最もハイレベルの出題であるといっていい。

市民革命、国家からの自由、自由権、アダムスミスの自由放任主義、小さな政府、資本主義の発展と弊害、マルクスと社会主義、社会権、世界恐慌、ケインズの有効需要の原理、修正資本主義、大きな政府・・・、こういったキーワードを適切に使って説明できているかどうかで採点をする。

一般に、生徒は政治学分野と経済学分野を切り離して勉強している。しかし、本来両者はコインの表裏の関係にあり、切っても切れない関係にある。両者を統合して初めて歴史のダイナミックな動きを理解することができる。
 残念ながら、私の出題意図を察した答案はほぼ皆無であった。たぶん、私の教え方がまずかったのだろう。答案を返した後で丁寧に解説をした。上の教科書の図も、政治・経済両面から説明したものに書き換える必要があるかもしれない。

ところで、1991年にソ連が崩壊して資本主義対社会主義の対決に決着がつき、その後29年が過ぎた。社会主義が崩壊したことの意味を問う本はまだほとんど見かけないが、そろそろ、社会主義というライバルが消えた後の資本主義という視点からの分析が出てきてもおかしくはない。

一般に、ライバルが存在し両者の間に競争が起きれば、双方にとっていい結果をもたらすことが多い。19世紀までの資本主義が20世紀になって修正資本主義に脱皮できたのは、ひとえに社会主義という良きライバルがいたからだと考えても間違いではなかろう。ひょっとしたら、「社会権」という概念そのものも社会主義というライバルがいたからこそ誕生したのかもしれない。

ところが、その社会主義が崩壊してしまった。その結果、一人残された資本主義は再び牙をむきだした。競争・競争・競争・・・。あらゆるところに競争原理が持ち込まれ、すべての結果が「自己責任」に帰される。給料が上がらないのは自己責任、失業するのも自己責任、野宿するのも自己責任。勝ち組と負け組が生まれ、貧富の差が少しずつ拡大している。

いま、働き方改革が進められている。なんのことはない、経営者側に都合のいい労働環境を作ろとしているだけではないのか。なぜ「働きすぎ改革」をやらないのか。グローバル競争が展開される中で、労働者はますますゆとりを失っている。時計が逆回転を始め、時代は確実に19世紀に向かっている。

最近、書店でマルクス関係の本をたくさん見かけるようになった。さもありなん。歴史は振り子のように右へ行ったり左へ行ったりしている。
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