物事を判断する際の基準として短期的視点と長期的視点がある。
例えば住宅問題。1951年生まれの我々の世代には「住宅すごろく」という言葉がある種の呪文として存在した。最初は安いアパートに住み、結婚後は賃貸マンションに移り、その後は子どもの成長にあわせてより広い住居に住み替える。そして最終的に郊外の庭つき一戸建て住宅を取得し、上がりとなる。
石川県から裸一貫で大阪に出てきた私も、このすごろく通りのライフコースをたどってきた。上がりである郊外庭付き一戸建て住宅を泉北ニュータウンで購入したのは1988年、私が37歳のときであった。当時泉北ニュータウンは若い世代であふれ、公園や文化施設が整備され「泉北文化村」と称された。近所の住人は、大手企業、市役所、大手銀行などに勤める人や裁判官といったそれなりの所得層の人たちばかりだった。
(泉北ニュータウン)
結局泉北ニュータウンには18年住んだ。その後、55歳のとき今の大阪駅近くのタワーマンションを購入し都心に引っ越した。今後、日本が人口減少社会に突入し、郊外の大きな一戸建て住宅に対する需要がなくなるという長期的視点からの判断からだった。
その判断は正しかった。その後泉北ニュータウンは空き家が増加し、反対に都心部のマンション価格は大きく値上がりした。郊外庭付き一戸建て住宅は決して住宅すごろくの上りではなかった。いま全国で1000万戸の空き家があり、今後ますます増えると予想されている。
政策を決定する場合、重要なのは長期的視点である。しかし、民主主義のもとではとりあえず目の前の課題を解決することが最優先される。だから政治家も行政も常に短期的視点から政策決定する。地方から都会に人口が流入した。その住まいを確保するためにニュータウンが作られた。その結果、また新たな問題が生まれその解決が求められている。
いま都心部のタワーマンションがもてはやされているが、これとてあと30年もすればどうなることやら。まあ、そのころ私はもう存在しないだろうが。