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南英世の 「くろねこ日記」

長時間労働を考える

(データの出所:労働政策研究・研修機構)


 上のデータは1990年以降の年間労働時間を国際比較したものである。これを見ると日本の年間総労働時間は過去26年間に300時間以上も短くなっている。しかし、このデータを見て納得できる人はほとんどいないのではないか。実際には長時間労働はむしろ悪化していると感じる人のほうが多いのではないか。かつて、労働生産性が高まれば「余暇が増え人々の生活は豊かになる」と大学で教えられた。なぜ、そうならないのか。

以前私は「ドイツに学ぶ働き方改革」の中で、日本とドイツの労働時間の差が下記の3点に原因があると指摘した。
1.長時間労働に対する評価の違い
2.有給休暇と病気休暇
3.組織でカバーし合うドイツ

しかし、最近もっと根本的な違いがあるのではないかと思い始めている。結論から言えば、それは「終身雇用」という日本の雇用慣行に原因があるのではないかということだ。

日本では、大学や高校の新卒が一括採用され、その後定年までその会社で勤めあげることが一般化している。途中で退社して別の会社に入ろうとすると、「なぜ辞めたのか」「辛抱の足りないやつだ」「前の会社でどんな悪いことをしたのか」などとマイナスの評価をされてしまう。転職して前の会社より条件のいい会社に入ることはほとんど不可能に近い。だから、どんなにつらいことがあっても辛抱するしかない。

そうした終身雇用制度を後押ししているのが「年功序列型賃金」である。長く勤めれば勤めるほど賃金がエスカレーター式に上昇していく。若い時は安月給でこき使われても、年相応に給料が上がっていくこの制度は労働者にとってもありがたい面もある。子どもが大学生になって親として一番お金がいるときに、自分の年収をだいたい予想できるからだ。しかも、最後まで勤め上げれば退職金があり、うまくいけば再就職先もあっせんしてもらえる。

その結果、会社に対する忠誠心のあかしとして、朝早く出勤し、みんなと社歌を歌い、同僚と飲み、結婚式の仲人は会社の上司に依頼し、社宅に住み、会社主催の運動会や旅行は参加するのが当たり前。長時間労働は人事評価で高く評価されるため、会社に長くいることが常態化し、サービス残業もいとわない。多くの社員は雇用の安定と引き換えに無賃労働というサービス残業に耐えることになる。

下の統計は各国の年間休日数を比較したものである。日本の休日数は決して少ないわけではない。



しかし、日曜出勤は要請されれば断ることは難しい。また有給休暇は、とればほかのだれかに迷惑がかかるため罪悪感を感じてとりにくい雰囲気がある。有給休暇の取得率は、ドイツ、フランスが100%、イギリス96%、アメリカ71%、オーストラリア70%なのに対して、日本は50%に過ぎない(毎日新聞2019年1月4日)。さらに日本では有給休暇は「病気になった時のために残しておく」ことが常識とされ、たとえインフルエンザにかかっても、事務手続き上は「病休」ではなく「有給」扱いになる。そもそも日本には「病気休暇」などという概念は存在しないに等しい。

もし経営者が自社だけ残業をやめようと思っても、ライバル企業が残業を続ければ競争に負けてしまう。そのため結果的にお互いに残業を続けなければならないという「囚人のジレンマ」に陥る。そして残業することが常態化すると、毎月の残業手当が生活費の一部に組み込まれ、残業がないと生活に困る事態も生じる。

日本のサービス産業はレベルが高いことで有名だ。しかし、そのレベルの高さは長時間労働という犠牲の上に成り立っていることを自覚する人は少ない。宅配業者の時間指定を見よ。医師の長時間勤務を見よ。正月も元旦から働いている人がなんと多いことか。ドイツではスーパーやデパートの営業時間は法律で夜は20時までと決まっており、日曜日や祝日は基本的に休みである。

日本はなぜこんな社会になってしまったのだろう。いま、時代は19世紀へ逆戻りしている。2世紀をかけて勝ち取った労働者の権利が次第に失われている。労働者の7割がサービス産業に従事するようになった現在、これまで労働組合が果たしていた賃上げが、労働者一人一人の努力・成果に基づくようになり、そのことがますます長時間労働を加速させている。どこかで歯止めをかけねば…。どうしたらいいのだろう…。
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