福島県の高校野球に、激震が走った。
11時21分。
19年まで夏は13連覇。昨年の独自大会を含め14年間も福島の王座に就いていた第2シードの聖光学院が、第7シードの光南に1-5で敗れた。
11時42分。
第1シードの東日本国際大昌平が、第8シードの日大東北に逆転負けを喫した。
14時02分。
第3シードの学法石川が、ノーシードの福島成蹊に3-13の6回コールドという大差で屈する波乱が起きた。
大会は準々決勝と佳境を迎えていたとはいえ、優勝候補3校が立て続けに姿を消す異例の事態。県高野連関係者も「前例がないかも」と、困惑している様子だった。
「聖光ショック」
7月20日は、まさにそんな1日だった。
「子供たちが浮足立った」
「試合前に歴史が変わりましたから。聖光学院さんが負けたことで子供たちが浮足立って、変に気負ってしまったんじゃないかな、と」
ヨーク開成山スタジアムで聖光学院の次の試合に登場し、予期せぬ大敗で姿を消すこととなった学法石川の佐々木順一郎監督は、王朝陥落の余波を真正面から受け止めていた。
仙台育英時代に甲子園通算29勝。準優勝2度の実績を誇る名将ですら、その衝撃の大きさを咀嚼するように、ゆっくりと話す。
「おこがましい言い方になってしまいますが、『聖光学院が負ける』ということが、子供たちにとってどれほどものすごい事実なのかということを思い知らされたと言いますか。『こういう時にこそもらわないと(甲子園に行かないと)』と思って送り出しましたが、やはり冷静ではありませんでしたね」
公立校“166センチ左腕”の大仕事
聖光学院、敗れる。
この巨大な台風を巻き起こしたのは、身長166センチ、体重67キロと小柄な、公立校の左腕エースだった。
9回を5安打4奪三振、1失点。聖光学院打線を封じ込められた背景として、光南の星勇志は「春の経験」を挙げている。
春季大会の準々決勝。星は聖光学院に4失点を喫し敗戦投手となった。しかし、春の優勝校であり、夏の絶対王者でもある相手の手の内を掌握できたことが収穫だったと語る。
「当たるのは今回が初めてでなかっただけ、落ち着いて投げられました。春はストレートが通用しなかったので、バッターの反応を見ながら、スライダーとか変化球中心のピッチングでうまく打ち取ることができました」
高揚感をにじませながら自らの快投を堂々と話していた星に、尋ねた。
――去年の秋、まさか夏にこんな大仕事をやってのけるなんて、想像できた?
星が間髪入れず、「いやぁ」と否定する。
「秋は(県大会2回戦で)須賀川に負けて。僕も打たれたし、打線も打てなかったんで、『実力がない』とみんなが自覚して。そこから『チームワークで勝てるチームになろう』と思えたことが大きかったですし、僕も『周りが助けてくれるなら、自分も助けてあげられる存在にならないと』って」
「新チームはピッチャーがいないんです」
星の回想を聞き、渋谷武史監督の言葉を真っ先に思い出した。
「新チームはピッチャーがいないんです」
光南は毎年のように好投手を輩出し、特に左投手の育成には定評がある。渋谷が13年に監督となってから夏は2度の準優勝(独自大会含む)を経験しており、16年の石井諒と20年の國井飛河の両エースが左腕だった。
「そんなこと言って、最終的にはいいピッチャーを作り上げるじゃないですか」
既成事実を出しても、渋谷は「いやいやいやいや!」と、素早くかぶりを振りながら謙遜していたものである。
「本当に、本当にいないんです!」
監督が強調するのも、この時の星の能力を知れば納得できるかもしれない。
最大の武器であるスライダーこそ当時から切れ味はあったが、まともに操れる変化球はこれくらいで、球速に至っては125キロに到達するかしないかだった。
いわば「どこにでもいそうな」凡庸な投手。それが、秋までの星だった。
石井一久の投球フォームを理想に…「爪はやすりで」
「チームを助けられる投手に」と、秋の敗戦から光南のエースが着手したのが、徹底した下半身トレーニングだ。
大股で歩くように股関節と膝を曲げ伸ばしするランジ。瞬発力を養うべく40メートルダッシュ、持久力を高めるため学校周辺の丘をランニングと、これらを対外試合が解禁される3月まで毎日のように実施した。
技術面では「そこまで大胆なことはしなかった」と星は言うが、変化球は1学年上のエース、國井の助言を基にチェンジアップを習得し、カットボールも投げられるようになった。投球フォームも、小さな体を目一杯使えるようにと、同じ左腕で日米通算182勝の石井一久(現楽天監督)の投球フォームを参考にするなど、理想のフォームを追求した。
星の探求心は、より潜在的なところにまで及んでいた。代表的なところで言えば、爪の手入れだ。
本人が言うに「誰かは忘れましたけど、練習試合の相手ピッチャーの爪がきれいだったんで、自分も真似しようと思って」と、昨秋から爪を切らず、やすりを使用して1ミリ程度の長さをキープするようにしているという。
爪はプロの投手の多くが細かく気を配っている箇所だ。ホークスや巨人で通算142勝を挙げた左腕の杉内俊哉が、こんな話をしてくれたことがあった。
「爪が長いとボールを投げづらくなる。逆に短いと、血マメができやすくなる。しっかり指にボールをかけてリリースできる、絶妙な長さをキープすることが大事。こればっかりは本人の感覚なんで個人差はありますけど」
能力がないと認めるところからスタートし、地道な努力を重ねた。
聖光学院監督も「左では県ナンバーワン」
星のひたむきな歩みは、「ピッチャーがいない」と嘆いていた渋谷も評価する。
「これはチーム全体にも言えることですが、まず『みんなで強くなろう』と前向きに練習できたことが一番だと思います。星に関しては、今までのピッチャーより意識と向上心が高い。『上のステージでも高いレベルで野球を続けたい』と、具体的な目標を持っていることも大きいんでしょうね。それが、ピッチャーとしての成長にも繋がったんじゃないかなって思います」
ひと冬越え、120キロ台だった球速は最速で138キロまでアップしていた。
春季大会では聖光学院に敗れたが、相手の斎藤智也監督に「能力は抜群。左では間違いなく県ナンバーワン」と言わしめた。練習試合などで対戦経験のあった県内の監督たちも、「秋はそこまで印象になかったが、ここまで化けるとは」と舌を巻いていたほどである。
実現しなかった「甲子園、絶対に行けよ!」
そして迎えた、リベンジの夏。光南の絶対エースは絶対王者の連覇を断つ快投を披露した。秋の宣言通り、チームを助けたわけだ。
「星君を褒めるしかない」
潔く敗北を認めた聖光学院の監督から、星は試合後、激励を受けた。
「甲子園で投げるのにふさわしいピッチャーだ。絶対に行けよ!」
光南、そして福島の高校野球の歴史をも動かした「小さな大投手」は、しかし、夢を実現させることはできなかった。
日大東北との決勝戦。1点を追う9回に自身の本塁打で同点としたが、その裏のピンチで、真ん中に甘く入ったスライダーを痛打され、サヨナラで敗れた。
今大会で自身最多の5点を失いながらも、最後まで投げ切った。ただ、112球の粘りは報われなかった。
「勝ち切りたかったです」
6試合すべてに登板し、541球を投げた星がマウンド上でうずくまる。主将でセカンドの七海瑠好に抱きかかえられながら起こされるまで、動けなかった。
監督の渋谷は、決勝戦まで獅子奮迅の投球でチームを支えたエースを慮り、ねぎらった。
「2日連投ということで、コントロールもスタミナも万全ではなかったと思います。そんな状態でも最後まで投げてくれた。本当にエースとして成長してくれました」
「聖光だけが出る福島のレベルは低い」は本当か?
光南が強烈な爪痕を残し、福島の山が動き出した夏。
これまで、県内のライバルチームの指導者たちは、聴覚が麻痺するくらい、こんな外野の声を聞かされ続けてきた。
「福島は聖光しかいない」
「聖光だけが出る福島のレベルは低い」
「他の高校がだらしない」
本当に、そう決めつけていいのだろうか。
決勝戦後の囲み取材の最後、思い切って渋谷に訊いてみた。
――渋谷監督にとって、聖光学院とはどんな存在でしたか?
謙虚な男の目が、光ったような気がした。
「これまでずっと負けてはきましたけど、聖光さんは甲子園で強いチームと戦った経験を福島に持ち帰ってきてくれて、試合で僕たちに見せてくれました。そういう相手にどうしたら勝てるか? 聖光さんを倒すために費やした時間は無駄ではなかったし、確実に力をつけられたと思っています」
光南や他のライバルたちは、常に聖光学院という「全国」と対峙してきたのである。
敗者の矜持。
福島の力を示す戦いが、今年の夏から本格的に始まる。
まずは、18年ぶりに甲子園出場を決めた日大東北。そして近い将来、聖光学院の牙城を崩した光南も、追随するだろう。
何度でも言う。
福島県に、弱者などいない。
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