先日,NHKのテレビ番組「あの人に会いたい」で
故伊丹十三監督を拝見いたしました。
懐かしくて涙の出る思いでした。
家内も「あのころの事は、今でもよく思い出す」と感慨ぶかげに
画面をみつめておりました。
あれは映画「スーパーの女」の殆どの撮影が、
杉並区・堀の内の廃業したスーパーマーケットを使って
行われたときの事です。
監督は、
弁当にも目を配られていて、
スタッフの皆さん、出演者の皆さんの
モチベーションを下げることのないように、
ちゃんとした弁当をつくるように要望されたのです。
「和風弁当は、和風の食材だけで和風らしく仕上げる」
「洋風弁当は、洋風の食材だけで洋風らしく仕上げる」
そして、「撮影期間中同じメニューがかぶらないこと」
たかが弁当、されど弁当です。
限られた予算のなかでどれだけのことが出来るか?
毎日が戦いの連続でした。
ここで頑張れば、将来へ続く!未来への試金石だ!と
すべての情熱を注ぎました。
撮影終了後に、弁当発注担当の制作さんに、
「みねやさんにお願いしてよかったよ。
監督も、よくこれだけのものを作ったと言ってた」と
労をねぎらってくれました。
後日,NHKが砧のTMCスタジオで撮影をしたときに、
ステーキをその場で焼いてご提供するケータリング
(外人の役者さんがいたので)の注文を頂きました。
そのとき、伊丹監督の撮影でも使っていただいたとお話ししたら、
「凄いね!あの人につかってもらえるぐらいなら、
これからも安心してお願いできるね!」と言われました。
あの試練の日々が「みねや」を育ててくれました。
みねやの「ポリシー」は、あのときに確立したのです。
「困ったときのみねやさん」の面目躍如の懐かしい思い出です。
伊丹十三監督は、みねやの恩人です。
監督!本当にありがとうございました。
本当にありがとうございました。
故伊丹十三監督を拝見いたしました。
懐かしくて涙の出る思いでした。
家内も「あのころの事は、今でもよく思い出す」と感慨ぶかげに
画面をみつめておりました。
あれは映画「スーパーの女」の殆どの撮影が、
杉並区・堀の内の廃業したスーパーマーケットを使って
行われたときの事です。
監督は、
弁当にも目を配られていて、
スタッフの皆さん、出演者の皆さんの
モチベーションを下げることのないように、
ちゃんとした弁当をつくるように要望されたのです。
「和風弁当は、和風の食材だけで和風らしく仕上げる」
「洋風弁当は、洋風の食材だけで洋風らしく仕上げる」
そして、「撮影期間中同じメニューがかぶらないこと」
たかが弁当、されど弁当です。
限られた予算のなかでどれだけのことが出来るか?
毎日が戦いの連続でした。
ここで頑張れば、将来へ続く!未来への試金石だ!と
すべての情熱を注ぎました。
撮影終了後に、弁当発注担当の制作さんに、
「みねやさんにお願いしてよかったよ。
監督も、よくこれだけのものを作ったと言ってた」と
労をねぎらってくれました。
後日,NHKが砧のTMCスタジオで撮影をしたときに、
ステーキをその場で焼いてご提供するケータリング
(外人の役者さんがいたので)の注文を頂きました。
そのとき、伊丹監督の撮影でも使っていただいたとお話ししたら、
「凄いね!あの人につかってもらえるぐらいなら、
これからも安心してお願いできるね!」と言われました。
あの試練の日々が「みねや」を育ててくれました。
みねやの「ポリシー」は、あのときに確立したのです。
「困ったときのみねやさん」の面目躍如の懐かしい思い出です。
伊丹十三監督は、みねやの恩人です。
監督!本当にありがとうございました。
本当にありがとうございました。