川瀬巴水 大田区立「郷土博物館」
川瀬巴水
版画家 1883~1957年
住んでいた所 大田区馬込町平張975
14歳の時から日本画を学ぶが親の反対で中絶し、家業の組み紐業に従事する。
26歳の時、鏑木清方の門に入る。大正7年(1918)親友、伊東深水の木版画
「近江八景」を見て版画に興味をもち同年処女作「塩原おかね路」を渡辺版画店
より発表。(この渡辺版画商店は版画界に多大な影響、貢献を残している。たしか
お孫さんがテレビ「開運なんでも鑑定団」に出演されている)
以後全国を旅行し、風景画を多数制作。その数は467点といわれる。
大正15年(1926)11月から、大森新井宿子母沢に、昭和5年(1930)から、
馬込の平張に住む。塩原疎開の後は大田区上池上に居住。(親友伊東深水は池上
本門寺に住んでいた。その後空襲により焼失しそのあと地は大田区立池上梅園と
なっている。梅の咲く季節は大勢の人の目を楽しませてくれています)
大田区立「郷土博物館」より
巴水、の版画「馬込の月」「池上本門寺」の2点を是非見て下さい。
大田区民の一人として誇らしく思い多くの人に見てもらいたいです。
川瀬巴水
版画家 1883~1957年
住んでいた所 大田区馬込町平張975
14歳の時から日本画を学ぶが親の反対で中絶し、家業の組み紐業に従事する。
26歳の時、鏑木清方の門に入る。大正7年(1918)親友、伊東深水の木版画
「近江八景」を見て版画に興味をもち同年処女作「塩原おかね路」を渡辺版画店
より発表。(この渡辺版画商店は版画界に多大な影響、貢献を残している。たしか
お孫さんがテレビ「開運なんでも鑑定団」に出演されている)
以後全国を旅行し、風景画を多数制作。その数は467点といわれる。
大正15年(1926)11月から、大森新井宿子母沢に、昭和5年(1930)から、
馬込の平張に住む。塩原疎開の後は大田区上池上に居住。(親友伊東深水は池上
本門寺に住んでいた。その後空襲により焼失しそのあと地は大田区立池上梅園と
なっている。梅の咲く季節は大勢の人の目を楽しませてくれています)
大田区立「郷土博物館」より
巴水、の版画「馬込の月」「池上本門寺」の2点を是非見て下さい。
大田区民の一人として誇らしく思い多くの人に見てもらいたいです。