庶民が愛用した意外とホカホカの寝具とは
貧乏長屋の住人は敷布団は使っていたが掛け布団は今の様な形ではなく‘夜着と呼ばれる綿入れを使っていた。えりと袖がついていて着物より一回り大きいドテラにくるまって寝ていた。大阪や京都では元禄年間(1688~1704)頃から長さ約170センチ程あるおお布団と呼ばれていた掛け布団が使われていた。
上方でもある時期迄は‘夜着を使っていたから西から伝わり改良されたものでしょう。
夏の寝具は‘夜着を小ぶりにしたかい巻きを掛け、敷布団の上には‘寝ござを敷いた。
シーツを使う様になったのは明治時代以降の事。
又、貧富の差によって、裕福な商人は綿がたっぷり入った敷布団、貧乏長屋の住人は薄いせんべい布団。農家では、こもやむしろを敷くかワラ布団が一般的でした。
枕はさまざまな変遷があり、江戸初期には「括り枕」袋の中にそばがらを入れて円筒形にし両端を結んでフサをつけたものが主流、その後、木で出来た「木枕」、次に「箱枕」が出来広く用いられる様になった。箱枕は木枕の上に括り枕をのせ、真ん中をヒモで結んだ物。今の枕と較べると恐ろしく高い、当時の髪型に対応する為。
著者・歴史の謎を探る会より
byびんちゃん
貧乏長屋の住人は敷布団は使っていたが掛け布団は今の様な形ではなく‘夜着と呼ばれる綿入れを使っていた。えりと袖がついていて着物より一回り大きいドテラにくるまって寝ていた。大阪や京都では元禄年間(1688~1704)頃から長さ約170センチ程あるおお布団と呼ばれていた掛け布団が使われていた。
上方でもある時期迄は‘夜着を使っていたから西から伝わり改良されたものでしょう。
夏の寝具は‘夜着を小ぶりにしたかい巻きを掛け、敷布団の上には‘寝ござを敷いた。
シーツを使う様になったのは明治時代以降の事。
又、貧富の差によって、裕福な商人は綿がたっぷり入った敷布団、貧乏長屋の住人は薄いせんべい布団。農家では、こもやむしろを敷くかワラ布団が一般的でした。
枕はさまざまな変遷があり、江戸初期には「括り枕」袋の中にそばがらを入れて円筒形にし両端を結んでフサをつけたものが主流、その後、木で出来た「木枕」、次に「箱枕」が出来広く用いられる様になった。箱枕は木枕の上に括り枕をのせ、真ん中をヒモで結んだ物。今の枕と較べると恐ろしく高い、当時の髪型に対応する為。
著者・歴史の謎を探る会より
byびんちゃん