私の俳句.川柳.動画.日記.絵手紙【皆で470歳】

50から80才代のパソコン大好き仲間のブログ。
私の作品(俳句.川柳.動画.絵手紙).自然観察.徒然日記

【徒然日記】 昼 顔

2009年05月16日 16時19分12秒 | そめちゃん
昼顔(ひるがお科)

名前のとおり、昼間に開花夕方にしぼむ。

晩春から秋まで長い間咲き続ける。


《高円(たかまど)の 野邊(のべ)の 容花(かぼばな)   
  面影(おもかげ)に 見えつつ妹(いも)は 忘れかねつも》


容花=昼顔
万葉集 大伴家持


昼顔が咲いていたので思わず「パチッ!」

ある店先から、若いお兄さんが出てきて「ニッコリ!」

わたくしも「ニッコリ!」

「”あまり綺麗に咲いていたので写させて頂きました。”」

お兄さんはニッコリ笑って「”どうぞ、どうぞ”」

なんだか好い事有りそう。そんな気持ち、、、。



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江戸文化 広重 「東海道五拾三次」 6 戸塚

2009年05月16日 10時40分32秒 | ビンちゃん
<6> 戸塚 【元町別道】
     右の橋は大橋、その下は柏尾川。橋の手前には「左かまくら道」と

書いた石の道標が立っている。左の手前に「こ め や」と書いた大きな看板を

かけた店が描かれている。

軒先には「大山講中」等々、講中の名前が書かれた札が掛っている。

余り娯楽がなかった江戸時代は講中と称して町人が月ずきお金を貯めて何泊か

お寺まいりの旅を楽しんだそうです。

おそらくこの店は講中連の旅籠だったのかも。

馬に乗って来た旅人が宿に着くなり、今にもころぶのではないかと思う位慌てて

店先の縁台に飛び降りる描写がとても滑稽です。

どうしたのでしょう、トイレでも行きたかったのでしょうか。

馬子は冷たくそっぽを向き、女将らしい人が迎えに出てきた様子。

馬の後の方では旅の女の人が一休みするのか菅笠の紐をとこうとしているし、

橋の上の旅人も一休みしょうと思って歩いて来ています。

この旅人はすでに笠を小脇に抱えています。一休みしてまだこれから歩き続ける

のでしょうか。

藤沢まで二里(約8㎞)

                       byビンちゃん

【パソわざ】ウェブは異なもの味なもの

2009年05月15日 08時34分16秒 | パソコンのことわざ 【パソわざ】

ウェブは異なもの味なもの



男女の結び付きのきっかけだけでなくウェブでの縁は不思議で興味深いものです。


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【私の動画】徒然日記-雨の二日間

2009年05月13日 08時33分28秒 | そめちゃん
となりのトトロのぬいぐるみ展

折角出かけた伊豆高原は、雨に降られて二日間。

しかし、宿泊先きでの、充分な時間が効して久しぶりの仲間と話に花が咲いたり、近くで開催していた 伊豆テディベア・ミュージアムの「となりのトトロのぬいぐるみ展」に足を運びしばし年齢も忘れて楽しんできました。





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徒然日記 ミソマヨ

2009年05月12日 08時27分40秒 | 幸子さん
ほとんど、生野菜を食べない主人が、毎日食べるようになった。

たまたま、孫がコンビニの野菜ステックを買ってきたのを

美味しいから、じいじも食べてと渡されて、しかたなく食べたら 

旨い、と言うので4年生のまごが、容器の裏に書いてある材料で

あ~だ、こ~だ言いながら作ってくれたのが気に入って、

毎日欠かさず食べてくれる。孫に感謝

参考までにレシピを まずジャムの空き瓶を用意その中に

  材料

 マヨネーズ大匙 10
 味噌   おおさじ1
 昆布茶の元 少々
 一味    少々
 アミノサン 少々

以上ビンの中でかき回して、出来上がり
まろやかにしたいときは、マヨネーズ多目、味噌少な目
昆布茶の元を多目に、やさい嫌いなお子様に受けるとおもいます。

  野菜は きゅうり、パプリカ、大根、ブロッコリー、にんじんなど
  春キャベツもいくらでも食べられます。
  私のお気に入りは、大根のステック、おためしあれ

幸子の徒然日記


江戸文化 広重 「東海道五拾三次」 5 保土ヶ谷

2009年05月09日 13時31分57秒 | ビンちゃん
<5> 保土ヶ谷 【新町橋】

     橋の上、前方では深編笠をかぶり尺八を袋に入れて腰に差している

虚無僧が後を振り向いている。その後からは、かごに乗った武士が付き添いの家来

と両掛けを担ぐ用人二人が続き、前からは笠をかぶった男の団体が今にも橋の上に

上がろうとしている。たもとには二八そばと書いてある看板がある茶屋がある。

画面左端の田んぼ道を農具を担いだ農夫と息子がとぼとぼと歩いているようですが

私には見え難いです。

         戸塚まで二里九町(約8.9㎞)

宿外れに江戸を出て最初の難所と云われた権太坂がある。権太坂の由来はたしかで

はないが、旅人が耳の遠いい老人に坂の名を聞いたところ老人は自分の名前を聞か

れたと勘違いして、「権太」と答えたからという伝説が残っています。

坂を上がりきる少し手前の左側に「投込塚」の碑が立っています。

江戸時代の旅は命がけで、厳しい坂の途中で亡くなった人の死骸を投げ込んだ事

からこの名がついたそうです。

昭和36年、住宅開発の工事の時たくさんの遺骨が出たそうです。

                          byビンちゃん