


私は、数年前から、月~木曜日は休肝日としている(祝日やイベント、年末年始、お盆を除く)。とにかく酒(特に日本酒)が好きで、若いころは毎日5合、休日はしばしば一升瓶を空けていた、ということは酒に飲まれている大ばか者だった(笑)。しかし、子供が成長するにつれ、毎夜酔っぱらっている父親は、実に子供の教育に都合が悪く、子供を傷つけもする

私は、毎朝排便がある

上に書いたように、私は心身ともに不健全な生活をしていたので、それを心配した父が、「酒を飲む前には必ず何かを食べよ」「酒は食べながら飲め、酒だけを飲み続けるな」「毎日寝る前にはコップ1杯の水を飲め」などの言葉を与えてくれた。父も酒飲みで、日頃の憂さを酒で晴らしていたような人だったから、そこで学んだことを教えてくれていたのだろう。ただ、ちゃんと説明をすることが苦手だった人なので、こういう短い言葉しか私にくれなかった。単身赴任で普段は家におらず、いても夜に酒を飲んで酔っているか、休日の農作業で汗まみれで疲れて無口で不機嫌そうか、どちらかのイメージしかなくて、私は父が好きではなかった。しかも、古くて堅苦しい(と私には感じられていた)父の考え方や感覚に反発ばかりしていた。だけど、父のこういう短い言葉は、不思議と覚えている。
その言葉の一つが、「たとえ出なくても、毎朝一度は便所に座れ」だった。便が出なくて腹痛を起こしたり、すぐに下痢を起こしたりする子供だったころから、父は心配だったのだろう。酒を飲み始めてよけい不健康になることを心配したのかもしれない。嫌いな父だったが、こういう言葉は父の経験の重さがあるから、私はその通りにした。これが習慣づく前がどうだったかは、実はよく覚えていない。しかし、この言葉を実行し始めてから、毎朝ちゃんと便が出るようになり

毎日酒を飲んでいたころは毎朝が軟便だったが(腸の働きが緩むんだろうねぇ)、今の休肝日のやり方を始めてから、平日の朝の便はしっかりとした固形になり、ほどよい量が出て(何がほどよいのかはおなかの感覚だけど(笑))、休日の朝は形はあるがふわっとした便がいっぱい出て、おなかが空っぽになるような心地よさを感じるようになった


亡くなる数年前から父は弱りだし、そのころからやっと父にやさしくできるようになった。だけど、父の言葉が私を守ってくれている感謝は、ほとんど出せないままだった。こうして亡くなってから、「もっと早くからちゃんと気づいて、ちゃんとできていたら」と後悔するばかり。まぁ、そんなものかもしれないけど… もし息子が、私のことを思い出してくれたとしても、それは私がこの世から消えてしまったあとなんだろうな、きっと。それを見られないのは残念だが、私が父にしてきたことを思えば、当然のことかな?



な~んて思いながら、明日もトイレに座るのであった。快便万歳

