チンチラらいおんみるく&ひめ&ビックスに目覚めたママの部屋

★おっとりみーたんとすばしっこいひめたん
2にゃんのほのぼの毎日覗きにきてね★ママもビックスクーターデビューしたよ

本牧 フェンスの向こうのアメリカ

2009年05月31日 21時42分18秒 | ふるさと・横浜・本牧・etc

 

 私の生まれは横浜の本牧。
 小さな定食屋の娘として20歳位まで本牧で過ごしました
 今は本牧はとてもお洒落な町として栄えてますが
 当時はホントに田舎。

 その頃は家からほんの数メートルも行けば米軍基地(外人ハウスPX)が有りました
 外人ハウスはみんな緑の芝生で大きな平屋の一軒や庭にはビニールプールや
 ブランコやら私達庶民からするととても憧れの世界。

 その二つの国を隔ててるのが高さ約2~3メートルはあろうと思える鉄のフェンス

 
 (こちらは山側から見た外人ハウスかな)

 

 毎日中学校に通う時は本牧側の大通りの外人ハウスの前を通って
 1キロ近くある鉄のフェンスの横を歩いて学校に通いました
 途中、白人の子供達とフェンス越しに慣れない英語の会話をしたり
 名前を聞きあってお友達になったり
 でも決して日頃は中には入れない場所だったのです

 

 
 (とても怖かった記憶が残ってます)

 

 ただ夏になると毎年日米合同の盆踊り大会が3日間続けて開かれました
 PXには外人用のボーリング場や映画館、スーパーにバーなどの店がありました
 そして盆踊りはPXの大きな駐車場でとても盛大なお祭りです

 今では見られないほどの大きな輪が2重3重にもなって日本人アメリカ人が
 浴衣を着て皆で盆踊りです
 駐車場の回りのお店はみんなPXの人やらアメリカの人達
 このときばかりは日本では食べれないホットドッグやアメリカンドッグ
 手つくりのチョコレートケーキも美味しかったな~

 
 (見つけました、この駐車場。写真は大分昔かな)

 

 そして秋になるとハロウィンがあります
 その時だけは日本の子も外人ハウスの中に出入り自由
 紙袋を持って各家々を回ります

 「Trick or Treat?」とホントは言うのでしょうが
 私達が現地の子から教わった言葉は「チェカチェリー」
 そういうと中からアメリカ人のお母さんとも思える人達が
 玄関で待ってる子供達に片手にいっぱいのお菓子を
 袋に入れてくれます

 今となってはあんなに広い敷地を真っ暗な中よく迷わずに
 戻ってこれたのだと不思議に思います
 子供心に年間を通してこの二つの行事は
 とても楽しかったのを覚えております

 柳ジョージさんの「yokohama」と言うアルバムにある
 フェンスの向こうのアメリカと言う歌は今でも聴くと涙がこぼれます。

 そういえばHIROMI郷もここに雑誌の写真を撮りに来た事が有ったようで
 私は数日過ぎてこの話を聞き非常にショックを受け
 彼がもたれ掛かったと思われる鉄の棒をナデナデした記憶も有ります

 そんな外人ハウスも今はもう無くなり
 今で言うマイカル本牧と言う町が出来たのです

 その後私にとってこの横浜で生涯忘れられなくなる思い出となる事がおきたのです。

 次回に続く。

 ★みったんひめたんを見に来てくれた方私の話でゴメンなさい
  何だか急に心の中に残っている本牧(故郷)を文に残したくなりました
  やっだ~私老い先短いのかしら。゜(゜^∀^゜)゜。

 

 

 いつもありがとうございます

 

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