とある国語教師の日記

来年から国語教師になる、とある人の日記です。日記代わりに、日々考えたことをとりとめもなく書き積んでいきます。

家族

2024-06-14 19:40:17 | 日記

日本語には「一家団欒」という言葉がある。

――「一家団欒」とはどういうことだろう。どんなことを意味しているのだろう。

試しに『デジタル大辞泉』を見てみると、『家族全員が集まって、仲よく楽しみ合うこと。家族団欒。』と書いてある。

――やっぱり、自分とは遠い言葉だ。

今日実家で夕食を食べていて、そんなことを思った。思ったままにこれを書いている。

世間には、家族を大切にしよう、とか、家族は仲良くするものだ、とか、家族に感謝しよう、とか、そんな押し付けが溢れている。たまに仲の悪い家族が描かれるドラマや小説があったりするが、そんなものはフィクションだと思っている人も多い気がする。家族のことが嫌いだ、と人前で言っている人には、奇異や非難、それかもしかしたら「可哀想に」という目が集まる気がする。

 

私は家族のことが嫌いだ。大人になるまで育ててくれて、今もなお養ってもらっているのだから、感謝すべきだというのが普通の考えだし、文句があったとしても養ってもらっている事実が変わらないのだから建前の上だけでも感謝しておけよ、というのが普通の考えだろう。でも、私は家族のことが嫌いだ。感謝なんてしたくない。家族全員が集まったところで楽しいことなんて何もないし、家族で食事を囲んで何が幸せなんだよ、と思う。親のいないところでする食事のなんと自由で幸せなことか。やっぱりこんな家早く出たいや、と食後に自室に戻るたびに思う。

例えば、普通の高校生が担任との面談で「親のことが嫌いなんです」と打ち明けたとする。一番多い担任の返事はなんだろうか。「何かあった?」だろうか。優しいね。「私も」だろうか。嘘っぽいね。

「そんなこと言うもんじゃない」と言う担任が多そうな気がする。なぜなら、家族は大切にするものだし、仲良くするものだから。感謝するものだから。世間はみんなそう思ってるから。

居心地の悪い社会だね。上司や同僚との相性がどうとか、友達との相性がどうとか、先生との相性がどうとか、色々声に出していいことになってきている世の中だけど、家族との相性についてはいつまで経っても、誰も聞いてくれない。「そんな家族聞いたことない」とか平気で言われてしまう。

世間がみんなそう思っていることを知っていながら、それでも「嫌いだ」と声に出すんだから、よっぽど苦しいんだ。心が弱っている人に「そんなことで悩んでるのか」は禁句なのに、家族のことを嫌いだと言ったら、平気で無視される。高いハードルを乗り越えて打ち明けているつもりなのに。こっちは苦しいと言っているんだって。来年教師になって親が嫌いな生徒が現れたら、きっと肯定しようと思う。

私の母親は、よく父親のいないところで、父親のことを愚痴っている。たまに「なんで結婚したの?」と言いたくなるくらいだが、多分だけど当然、こんな風になると思って結婚したわけではないと思う。

じゃあ、そんな両親に育てられて、嫌でも似ている部分のある子どもが、誰かと結婚して家庭を持ったら、その家庭はどうなるんだろう。

――結婚しない方がいいな。自分は。結婚しちゃダメかも。

知り合いはみんな今日も、特に何も考えずに親のご飯を食べたり、彼女と食事をして一歩ずつ新たな家庭に近づいたりしている。

幸せそうだ。周りは。

みんなのところは、楽しそうだ。

羨ましい。そんな家庭に生まれたかった・・・楽しそうに食卓を囲む子どもに育ってみたかった。

 

実質これが初めての記事なのに、とんでもない話になっちゃった。こういう人間です。もしインターネットの隅っこのこんな記事に辿り着いた人が1人でもいたなら、誰かに届いたということで、それだけで、ちょっと救われると思います。



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