「悔しくて、死にそう」
そんな言葉から始まった久美子の3年間が、今日、終わった。
この言葉をきっかけに、久美子は変わった。その後、作中で久美子は何度も悔しい思いをして、必死に乗り越えてきた。「上手くなりたい」と宇治橋で泣き叫んだ回、ソロを真由に取られてしまった回、ついに真由との差を覆すことができなかった回……。
中学のコンクールで「本気で全国行けると思ってたの?」なんて口に出してしまう久美子が、誰よりも悔しい思いをして、正面から悔しい気持ちにぶつかって、ついには「悔しさを頑張って誇りにしたい」なんて言うようになった。
そんな久美子が選んだ職業は、教師だった。
誰がどう考えても、久美子は良い教師になる。100万人がユーフォを見たら100万人がそう思うだろう。
そう思う人の全員が明確な言葉としてその理由を考えているわけではなくとも、理由の一つが「悔しい気持ちの尊さを知っているから」と言われれば、かなりの人が同意してくれると思う。
じゃあ、自分はどうか。来年春から教師になろうとしている自分はどうなのか。
悔しい思いをしたことがあるのか。そもそも、悔しいと思うくらい何かに本気になったことがあるのか。
間違いなく、ない。
良い教師にはなれない。
・・・さすがにそこまでダメ人間ではない。正しくは「このままただ何も考えず過ごしていても、そういう部分で良い教師にはなれない」と思う。
ということで、久美子から学ぼう。
先ほど久美子が悔しい思いをしたシーンをいくつか挙げたが、ファンならば「それだけじゃない」とすぐに思うはずだ。久美子が悔しい思いをしたシーンは、他にもある。
久美子は、自分に関係ないことでも悔しい思いをしている。
オーディションなのに先輩であることが優先されてしまいそうになり、麗奈がソロを吹けないかもしれなくなった時。
お姉ちゃんが、ユーフォをやめて、大学もやめると言い出した時。
あすか先輩が大人のフリしてあっさり自分のわがままを諦めようとした時。
久美子はこんな時にも、「死んでもいい」とか言ったり、涙を流して叫んだりしている。
久美子が良い教師になりそうな理由は他にもある。3期全体を通してその一つが「周りをよく見ている」だと思う。周りをよく見ているから、色んな問題を上手く処理していくし、びっくりするほど上手く処理しているのに、全然軽く流している感じがしない。周りに起きる出来事一つ一つにしっかりと向き合っている。しっかり向き合っているから、久美子に叫ばれたら納得してしまう。久美子に関わった人はそうやって変わってしまう。
教師という職業は、人が変わっていくのをちょっと後押しする職業だと、(働く前ながら)私は思っている。そして、たまーに、適切なタイミングで、無理やり人を変えないといけない場面がある職業でもあるとも思っている。ただ、できるだけ、無理やり変える場面は少なくしなければならない。
そのために必要なのが、久美子の「周りをよく見る」スキルだと思う。周りをよく見ていれば、ちょっとした変化を見つけて、ちょっと後押しするくらいで、人は変わっていく。周りをよく見ていないと、よくない方向に変化しすぎて、無理やり修正しないといけない場面が増える。
別に悔しい思いをしていなくても、周りをよく見て、気持ちを考えて、一つ一つの変化にしっかり向き合っていれば、きっと良い先生になれる。
とりあえずはそういう考えで頑張っていこうと思う。
努力は報われる。いつか、何かしらの形で報われる。
良い先生を目指して頑張っていれば、いつか、良い先生になる「きっかけ」を掴める。
悔しい思いをしてないのは、いったん「その方が楽しいことばかりで幸せ」ということにしておこう。ユーフォは、ずいぶん都合よく問題が解決されることもある作品だし。それがリアルで、ある意味そういう都合のよさが、上手く生きていくということになるのかもしれない。
目の前の生徒にしっかり向き合おう。それで、いつか良い先生になれるように頑張ろう。
ユーフォ、終わっちゃいましたね。そのうち、作品の中身についてもレビューみたいなものを書くと思います。今日は、久美子がついに先生になったんで、「良い先生」について思ったことを、整理もせずに書き留めただけです。
ありがとう、「響け!ユーフォニアム」。最高の芸術作品でした。