平成26年9月2日
気になっていた、自分の町の古代遺跡に行って来ました。
私の町、兵庫県川西市は引っ越して来て30年、定年で暇になるまで、ほとんど何も知らなかったんだけど、結構古い遺跡が沢山あるんですよね。
その一つの、勝福寺古墳に行って来ました。
予め、予備知識をインターネットで仕入れ、それが古墳時代6世紀頃に造られた、前方後円墳で、あの継体天皇に関係する人物の古墳らしいとのことでした。
googlマップで 場所を調べ、駐車場は無さそうなので、車を近くのマーケットに止め (ごめんなさい、帰りに買い物するからね。) 歩き始めました。
大通りから入る場所には、案内板があるのかなと思ったけれど無く、勝福寺らしい建物があったので曲がって小道に入りました。
勝福寺がありました。
勝福寺の先の角が上り階段になっていました。
階段の下から見上げると
鳥居がある? 登っていくと
八坂神社の鳥居、ここは八坂神社の境内。え間違ったか?
しばらく歩いて行くと、それらしい看板が右斜め前方に!
やっと、勝福寺古墳に入る脇道がありました。
脇道を入っていくと、ありました。勝福寺古墳です。
それらしい紹介看板が一枚あるだけで、手入れはあまりされていない様でした。
石室が覗いていました。
先日、茨木市の今城塚古墳を見てきた後、その落差に、我が町だけに落胆してしまいました。
八坂神社の参道に戻り、八坂神社の参拝をしました。
八坂神社の格式高さには驚かされました。
何故、勝福寺古墳で、八坂神社古墳じゃーないんだろう。神仏集合で同一視されていたのかな。
いやまてよ、そもそも、6世紀前期に仏教は日本に伝搬しておらず、古墳の管理として神社があるほうが理解しやすいよね。
立地的に、高台になっている境内から町を見下ろすと、市内が一望でき、古墳時代以前 弥生時代、この地区を牛耳っていた、加茂遺跡にいた集団も、監視できたかな?
古墳埋葬者は、継体天皇に近い人物? と言うことは、継体天皇は、応神天皇の5代後の天皇を名乗っていて、八坂神社の御神体は確か、応神天皇。なるほど、納得してしまいました。
加茂遺跡を見に行った時もそうだったけれど、散策していた、小一時間、誰にも会うことはありませんでした。
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