この間県外から出向で入寮した50代の人が、コロナウイルス対策で二週間待機になった。
発電所の近くはかなりの田舎で、加えて外出自粛なので、外に出かけて何かをする、ということがほとんどできない。
その方は家族を置いて単身できているので、周りは知らない人ばかり、
鹿がその辺を走り回っているような僻地で、二週間誰とも会話することがなく
部屋でひとり、昼にビールを飲みはじめて夜20時には寝ていたらしい。
明日が来るかもわからない、というか、「明日はこない」という状況の方も複数おられるので、することがなかったと自嘲できるなんて何とノンキな、と思う気もするが、ひとまずその話題は置いておくことにする。
批判するわけではないが、工業系の、主に終身雇用制を採用している会社の40~50年代の中年男性は大体そのような感じである。
会社に行けば長年の知識と経験を駆使して、そこそこの能力を発揮する。
だが会社に行けないとなると家族と過ごすか、どこかへ出かけるかくらいしかすることがない。
そのどちらも封じられるとなると、昼から酒を飲んで20時に寝る、という人は案外多いかもしれない。
(充実感を持って生きているかは別として)既に子どもは自立しているし、あと10年もしないうちに定年退職で良い額の年金を受給できるので、今さら「世界を見てやろう」とか「図書館のこの棚からこの棚を全部読むぞ」とか、そんなことは考えない。
繰り返すが批判しているわけではない。
他人の人生を批判してもしょうがない。それに私は、40代から50代の人が世界を見てやろう、とバックパック1つで旅に出ていくのを見ても、すごいとは思うが、感動はしないし、肯定もしない。
また終身雇用制について論じるつもりもない。
私に社会学的な知識が乏しいというのも一因だが、その手の論文や研究は有り余る程あって、そちらに目を通した方が参考になる。
ただ、例えば20代の若者はどうだろうか。
もちろん20代の若者と言っても一括りにすることはできない。
ただ、発電所で働いている若者に限っていえば、生活様式はほとんど40〜50代のオジサン達と変わらないと私は思う。
若いので20時に寝るということはほとんどないだろうが、「やること」はほとんどない。
この状況下で何も考えずに平気で外出する一部の人たちを除いては、家族がいないとなると、気の許せる仲間達でこっそり部屋に集まり酒を飲むとか、スマートフォンでゲームをするとか、漫画を読むとか、アダルトサイトを覗くとか、趣味的な違いはあるが、いずれにせよやることはない。要するに「やることがないからやっている」ことがあるだけで、40〜50代のオジサンたちと、本質的には同じだと思う。
結局20代だろうが40代だろうが60代だろうが、本質的に同じという人はたくさんいるのだから、世代を語ることなど無意味かもしれない。
だが20代の若者が、40〜50代のオジサンたちと同じライフサイクルを送ることは、実は非常に不利だ。
当たり前だが若者に定年退職はまだこない。故に人生の逃げ切りを図れない。そもそも定年退職になるまで会社が存続しているかもわからない。
もっというと、巷には終身雇用どころか非正規雇用者で今後賃金が上がる見込みのない若者が溢れている。
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「若者よ、無駄な時間を過ごすな」と嘆いているわけではない。
「やるべきことを見つけろ、夢を追え」などとは死んでも言わない。
なぜかというと私も当の若者であり、他人のことを心配している状況ではないからだ。
そして私はまるで若者が不利で、定年間近の50代の中高年の方が、逃げ切りを図りやすく、有利で楽だという書き方をしたが、絶対にそんなことはない。熟年離婚や老老介護、定年退職後の就職など、他にも各世代の不安や課題を挙げればキリがない。
では逆に若者の特権とは何だろうか。
体力があること、ほとんどの人がとりあえず健康で、病気のリスクが少ないことは明らかだ。
つまり残された時間が長いので、人生に変化を起こせる可能性が高い。
例えば55歳の定年間近の男性より、23歳の若者の方が、いわゆる「可塑性」がある。
人生の可塑性とは、公務員を辞めてパソコン片手にルームシェアで住み、インターネットビジネスを始めることではない。
人生の可塑性は若者の特権、武器と言ってもいい。
だがその特権を自ら捨てようとする人もいる。
人生の可塑性というと、諦めたように鼻で笑う人もいる。
繰り返しになるが、「若者よ、無駄な時間を過ごすな」などと言うつもりはない。
他人の人生に口出しはしないし、関わるつもりもない。
だが、私たち若者が20時に寝るには、少し早すぎる気がするのだ。