私と正道会館の出会いは、今から30数年前となります

O先輩の勇姿




当時、北海道では、直接打撃系の空手といえば有名主流派が中心となり数流派しかありませんでした

そんな中で私は、当時絶頂期であった有名主流派の大学空手部に入門したわけなのです。
空手部には3年間在籍しておりましたが、その間、我が流派こそが最強であると信じ、ひたすら直線的な動きのガチンコ組手を信条として稽古に励んでおりました。
しかし、それはある時期を境に変貌を遂げることになります

それは、大学3年の夏のことです

空手部の同期の間で
「正道会館という流派が中島体育センターで活動している」
といった話となりました。
当時の正道会館は、北海道では、それ程の知名度はまだありませんでしたが、空手雑誌で全日本大会の記事を見て、私は斬新的な魅力を感じ、これまでの空手とは違う、何か惹かれるものがあったのでした❗
そして同期たちと正道会館の稽古を見学することになり、期待と緊張を胸に中島体育センターへと赴いたのです。
私自身、それまでやっていたことに疑問を感じ、この時何かを掴かもうとしていたのかもしれません🔥
そこでは、T北海道支部長、O先輩がいて、私たちを快く招いてくれました。
O先輩は、日大キックボクシング部のOBであり先輩の強烈な左ミドルキックを見て驚異を感じたものです❗
それよりも支部長、先輩の全く威張っていない優しい対応に感動したのでした。
私が所属していた空手部の流派は、黒帯といえば馬鹿みたく威張っていましたからね

今から思えば単なる世間知らずだったのでしょうが…
その後、私は数カ月後に、正道会館に移籍したのでした。
そして、審査会で来道された石井館長と出会いカルチャーショックを受け、正道空手に青春の全てを賭けることとなったのです

このように私の源流は正道空手であり、当時、石井館長から教えを受けた
倒す空手
そして、そのDNAを伝承していくのが私の使命であり、これが大誠舘の志であると思っております。
押忍
正道会館北海道支部主催の第1回北海道選手権

O先輩の勇姿

若かりし頃の私


