大誠舘 宮崎師範Blog🔥

日々の稽古、諸活動を通じ独り言を綴っていきます。押忍

クンダリーニヨガな一日

2020-02-13 14:58:09 | 日記
今日は、今月上旬に切除手術した大腸ポリープの検査結果を聞くために病院に行ってきました。

医師の診断結果は、1~5段階のうち(ポリープの大きさの基準で5だとガンとの説明)
3段階だったとのことでした

私は、去年もポリープを切除しているので、できやすい体質だそうで
大腸検査の結果にかかわらず、来年も内視鏡検査を受けるように勧められました。

大誠館ナイスミドルの方々も含め、みなさん健康には十分に留意しましょう。

さて、その後は
  クンダリーニヨガ指導士
でもある弟から、マンツーマンのヨガの指導を受けました。

太陽礼拝
火の呼吸
セラバンダンダ・クリア
(ヨガ式プッシュアップ)
フロックポーズ
(ヨガ式スクワット)
アーチャポーズ
サット・クリア
等々、クンダリーニヨガの代表的な動きを1時間にわたり行いました。

キツい動きの中にも、これを終えた頃には頭もスッキリとして気分爽快です

実は、私も1年位前からクンダリーニヨガを見様見真似で始めておりましたが(なかなか長続きしません) 
微妙な動きの違いがあり、これを矯正することができました。

まず火の呼吸ひとつとっても、弟のは体の底から響きわたるといった感じで、私のとは全く違いました
 
そしてクンダリーニヨガをやり終えた後にシャドーをやると、その動きがなまら良くなっているのが分かります。

禅道会の小沢代表が言っておられるように  
 クンダリーニヨガを武道に活かす
ということが実感できた1日となりました。
今度も続けていきたいと思っております。

その後は、弟とロイヤルホストで昼飯を食べながら今後の展望など色々と話をしました

本来なら今日は新十津川の稽古に一緒に行く予定だったのですが、インフルエンザによる影響で中止となっております

ですが今月29日には、新十津川で審査会があり私も出席予定なのでとても楽しみにしております
            押 








   










A distant karate story ⑥ その名は真武空手

2020-02-11 13:42:55 | 日記
かって旭川に斉藤拳一師範率いる
    真武会
という流派が存在しておりました。
 
今から30数年前、当時、北海道における実戦空手界は有名主流派がオープントーナメントと銘打って大会を開催していました。
(真のオープン大会とは言えなかったが…)

それとこれまでブログで書いてきたとおり、我々、正道会館北海道支部が大会を開催しておりました。

実は、真武会では、それより以前から旭川において他流派に門戸を開放した
  真のオープン大会
を開催していたのでした。

そのルールは摑みが認められ、空手のみならずレスリング、柔道、総合等といったジャンルからの選手も出場しており、それは異種格闘技戦の様相を呈しておりました。

その後、リングの使用、グローブルールの導入等当日としては画期的な試みを実践し
  道内屈指の実戦空手界の雄
として、その名を轟かしていたのでした

また、同流派からは北海道チャンピオンのみならず、全日本チャンピオン等多くの優秀な人材が育っているのです。

斉藤先生には、正道会館北海道支部の大会を開催するにあたり全面協力していただき、また、弟も学生時代に大変お世話になっております

真武会と交流させて頂いた月日の思い出は尽きません。

当時の北海道支部のメンバーを引き連れ旭川まで遠征し大会に出場したこともありました。

その大会で小兵ながら、自分より大きな相手に一歩も引くことなく見事な戦いをしている青年に目が止まりました。

その青年は
相手の首を抱え込んでのボディへの膝蹴りの連打からのハイキック
回転胴廻し等々
その技は多彩であり、当時の北海道実戦空手界にはない戦法で勝ち上がり正道の選手をも撃破し牙城を守り抜いたのでした

彼とは正道会館主催の北海道大会で対戦したことがありましたが、彼自身の実力を発揮できぬままに終わったと記憶しております。
また機会があれば戦いたいと思っておりました…

彼は、私が正道会館を離れた後、弟が北海道本部長を務めていた時期に指導員として活動していたと聞いております。

 小谷君元気でやってますか
 (^ー^)

このように真武会は、自分にとって
縁の深い流派なのです。

その斉藤先生も今は日本を離れ、フィリピンで空手道を普及され御活躍されております。

先般、斉藤先生の御息女であるリオさんがフィリピン代表となり、4月18日静岡で開催される
  総極真世界空手道選手権大会
への出場が決定しております。

一人の日本人がフィリピンへ渡り、空手の普及に尽力を尽くし、そして今度は
 御息女が日本の世界大会へ挑戦
  
   素晴らしい

これは、絶対に実現してほしいと真から願っております。
          押 忍

優勝小谷君、準優勝誰だっけ?4位今は亡き小堀君、5位は弟でした。






みんなで応援しましょう💪











A distant karate story ⑤

2020-02-09 03:56:25 | 日記
前回のつづきとなりますが、私は、第4回北海道大会を前にして、なんと
左腕の骨折という危機的状況に陥ったのでした

普通ならここで諦めなければならないのですが…
当時の私はある決断をしたのです。

空手バカなのか本当のバカだったのか…それは
  ギブスをはめたまま出場する
ということでした

この大会には、前のブログにも書きましたが、有名主流派出身でその流派の北海道大会で準優勝の経験のある強豪が出場予定であり、当時正道会館北海道支部の看板を背負っていた私にとっては、出場しないわけにはいかなったのです。

最初は、諦めていたのですが、有名主流派の北海道大会で腕にギブスを付けて奮戦している選手がいたことを思い出し
   これだ   
と思い、行動に移すことにしたのでした。
今の時代なら絶対にありえないですよね 

北海道支部長も私の思いに賛同してくれて、ちょうど大会前に審査会も重なり、大阪から来道された石井館長から片腕で戦う方法を伝授していただきました。
   
大会までの日にちが刻一刻と迫る中で、私は片腕戦法の稽古に励んだのでした

そして、大会のトーナメントを決める時期となり、私は支部長に例の強豪との1回戦の対決を懇願したのです。

私は、ギブスを付けたまま戦うことで腕のダメージ等を考えると、とても決勝まで行くのは無理だと判断したのでした。

それなら、1回戦で例の強豪とぶっかり、私でストップしょうと考えたのです🔥

さて大会当日
第1回大会から各選手が徐々にレベルアップしており、他流の選手が正道の牙城を崩すべく虎視眈々と狙う中
  昭和63年11月3日
  中島体育センター本館
において、その火蓋が切って落とされたのでした

参加選手40数名(無差別級のみ)、この時も北海道実戦空手界を代表する諸流派が一堂に会したのです。

私は1回戦で例の強豪S選手と対戦したわけですが、当時のルールは
   摑み3秒、引っ掛け
が認められいたので、私はこのルールを最大限に活かしたのでした。

この戦法は
 右手で相手の左袖を摑み、回し崩しの要領で右ロー→左ヒザをボディに入れ、更に左ミドルまたは左ハイキック
といったものでした。

結果的に本戦、延長、再延長でも決着がつかず、その勝負は数試合を挟んだ1回戦の最終試合へと持ち越されたのです。

そして迎えた最終決戦
お互い意地と意地のぶつかり合いとなり、僅差の判定で私の勝利となりましたが…
今思うと
心情的に考えて、ギブス目がけて思いっ切り突き蹴りを出せるはずはなく、その状況下で戦ってくれたS選手には深く感謝しております

S選手との戦いが終わり、私は腕のダメージもあり棄権しましたが、その後は後輩達が正道会館北海道支部の牙城を守ってくれたのでした

その中には、体重60㎏前後の小兵ながら3位となった弟の姿もあったのです。
             おわり






















左ミドル ナイスミドル

2020-02-07 00:55:04 | 日記
本日は、私の稽古指導日でした。

本来なら毎週金曜日なのですが、明日私の所要があるため変更してもらいました。

本日は、記録的な大雪後にも関わらず
  大誠館ナイスミドル
面々の参加となりました

空手を生涯武道として捉え稽古している方々なので、稽古自体がとても熱いものとなっております🔥

スパーリングでも、誰も休もうとしません。

本日のテーマは、私の大好きな
   左ミドルキック
でした。

ミットを中心に
   ・ロングの間合
   ・ショートレンジからの攻撃
   ・左ミドルを主力とした 
    コンビネーション
等を稽古した後は、
   ・左ミドルを主体とした攻撃
   ・ショートレンジの攻撃
   ・ブロックからの即反撃
を課題とした組手をおこないました

みなさんの稽古に対するハート💖が素晴らしいので、まだまだ伸びることは間違いありません

みんなで大会を目指すのも良いかもしれませんね

来週も宜しくお願いします。
            押忍




















   


A distant karate story ④

2020-02-03 19:55:19 | 日記
第3回北海道大会は、総本部の助っ人もなく北海道支部の道場生のみで他流派を抑えた結果となりました。

これこそが真の北海道大会であったと思います。

正道会館北海道支部は、この大会で弾みを付け、道場のみならず弟の旭川東海大学、酪農大学の正道空手部といった大学生にまで広がりをみせていったのでした

私自身も2連覇に向け、更なる稽古を積んでおりました

当時の組手は、脛、膝、拳にサポーターを装着しているとはいえ100%、いゃ…それ以上の力でぶつかり合っていました。

 情け容赦ない組手 🔥
ある時は、夜勤明けの先輩が疲れた体で昇段審査を受けた際に何の感情もなく平気でKOしたこともありました。

他流派出身の道場生などは、確実にその犠牲者となっていました。

批判する者もいましたが、私は、それを良しとしていたのです。

石井館長も審査会で「手加減するのは相手に失礼なんやで」と言っておられたので、私はこれを愚直に実行しておりました。

しかし
大会数ヶ月前のことになりますが
この私に思わぬ落とし穴が待ち受けていたのです😈

それは、私と共に北海道初の昇段審査を受け初段となっていたH君との組手で起きたのです。

黒帯同士の組手となればプライドのぶつかり合いです。
絶対に引くわけにはいきません。

この日もそうでした…
いつものようにガチの組手をやっていたのですが、H君の左右どちらかのハイキックが私の顎にヒットしたのです

この時倒れはしなかったのですが、奥歯が折れ口の中に血の味が広がっていました。

本来ならここで止めておくべきなのですが、当時は血気盛んな時期であり、H君を絶対に倒してやろうといった気持ちが先立ち、私は完全に冷静さを失っていたのです

そして私がガンガン攻め込んだところ、今度は右のミドルキックがカウンターで入ってきたので、私は咄嗟に左上腕部で受けたのでした。

その時です
   ボキッ
という音と共に左上腕部に激痛が走ったのです。
腕は変形しており、一目で骨折していることが分かりました。

原因は、相手の蹴りを受け流すことなく、もろに受けてしまったことです😨

直ぐに救急当番医に行ったのですがその診断結果は尺骨骨折で医者には全治まで約2~3カ月と言われ、私は北海道大会どころではなくなってしまったのです😢

実はこの大会には、有名主流派の北海道大会で準優勝の経験がある強豪が出場予定であり、私は実力を試す絶好の機会として楽しみにしていたのです…

本来ならここで諦めるべきなのですが、私は今では考えられない行動を執ったのでした🔥
            つづく


当時の稽古風景