第2回北海道大会は、総本部からの刺客M選手の2連覇により正道空手の強さを北海道の空手界に知らしめた結果となりました






この当時、他流派との実力を比べると雲泥の差がありました。
確かに北海道の実戦空手界は10~20年は遅れていたと思うのです。
M選手の実力であれば、当時の有名主流派の北海道大会に出場しても確実に優勝していたことでしょう

しかし、当時の私どもとしては何時までも、総本部に頼りっぱなしという訳にはいきませんでした。
そのためには各自が強くなり、館長からも認めてもらう必要があったのです。
ですから私を含め北海道支部のメンバーは一丸となって次の大会に向けて稽古に励んだのでした

私も攻撃のフォロースルーが弱いといった弱点を克服するために、ひたすらサンドバック、ミットを蹴りまくり、ほぼ試合に近い組手をこなしていました

そして迎えた第3回北海道大会
参加選手30数名のうち、3分の2が真武会、立道会館、拳正会などといった当時北海道の実戦空手界を担っていた強豪他流派勢でした。
この年、私は念願であった昇段審査に挑戦させていただき、石井館長から初段を認可され、波に乗った状態でした

また、自分の他にも黒帯1名が誕生していたのです。
この時の大会には、総本部からの刺客はなく、いよいよ北海道支部で牙城を死守する時が到来したのでした

私も大会の前日に熱が出るまで稽古に明け暮れ、どんな相手であれ必ず倒すと決意しておりました。
私の試合は、1~3回戦は他流派勢でしたが左アウトロー、左ミドルキックを主力として全て一本勝することができました。
この時期は、自分の左ミドルが相手のレバーに入るまでの間、なぜかスローモーに見え、蹴り足を戻すと相手が倒れていました。
不思議な感覚でした…
選手としての全盛期であったと思います。
その後、準決勝、決勝は同門対決となり、準決勝は一本勝ち、決勝は合計7分に及ぶ戦いの末に優勝することができました

この時は、自分の優勝はもちろんですが、北海道勢が他流派を抑え上位を独占したことが本当に嬉しかったのです

弟も体重60㎏前後ながら無差別の中5位に入賞しています。
そうなんです

この時、正道空手の倒す技術は体重差を十分にカバーできるものだったのです。
このように第3回大会は、自分の力を遺憾なく発揮することができました。
そして、二連覇を目指すことになったのですが、そこには意外な落とし穴が待ち受けていたのでした

つづく



