私が初めて守護の存在を感じたのは、高校生の時です。
それまでも感じようとするならば、いつでも感じる事が出来たのでしょうけど…
その時の私は人間関係や恋愛、家の問題でとても、疲れていて過食気味で夜が怖く、眠れない状態にありました。
その為昼の時間に力を入れる事が出来ず、悪循環にはまっていたのでした。
今考えたらうつ病の入り口にいたのかもしれません。
そのときは夜が怖かった為、夜中に電気もテレビも煌々と付けて下らない漫画を読んだり、詩を書くのが好きだった私は自分の心の闇をノートに書いたりして何とか闇を乗り気っていました。
心の闇を書き尽くしたある夜中の事、本当に自分は何故いつも、変わらない辛さを過ごし、助けを求める場所もなく、何でここにいるのか、この辛い場所に独り切り離されてほったらかしにされてるような気持ちに押し潰されそうになりました
“消えたい”という思いが最高潮になった夜でした
こんな私が消えて悲しむ人はいるだろうかと考えを巡らせていたとき、私を大切にしてくれていた祖母を思い出しました。
私の話をいつも優しい顔で聞いてくれていた祖母
亡くなってもう実体を持って話が出来ない祖母
そんな話をいつも、聞いてくれていた祖母に手紙を書きたくなった私はいつもの闇ノートを一枚ちぎり手紙を書きました
今、辛くてどうしようもない事、私はこの先どうやって生きていけばよいですか?希望なんてとても持てる状態じゃないですと書き、お仏壇に置きました。
その後も眠れずボーッとしていました
電気が虚しく光り、テレビの音も聞こえてない状態が一時間程続きました。
そんな私の耳にこんな言葉が響いてきました。今までただ怖さを紛らわすためだけに付けていたテレビからでした
聞こえてきたのは
「人生は何が起こるかわからない、明日道が開けることもある。諦めないで」という言葉でした。
何でもない夜中のバラエティー番組です。
私は祖母からの返事だと一瞬で思いました。
これが、私が初めて守護の存在を感じた瞬間です
そしてその言葉一つで私は魔法にかかったように楽になることが出来ました
本当に辛く、純粋に何とかしたいと思った想いが守護の存在との通信を可能にしたのです。
これはきっと特別な事ではありません。
誰もが聞こうとすれば聞ける声なのだと思います
そしてその時の言葉は今でも私の宝であり、忘れる事の出来ない、繋がれる“通信手段”を知った大切な人生の一部です。
無駄な時間とその時思っていても無駄な時間などないのです。
次は守護の存在エピソード2書きます。
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