続・シーガイア100倍!!

木次線乗車記③(感動!!出雲横田→備後落合)

2024.7.12 13:45  島根県仁多郡奥出雲町 天気:☁ 気温:24℃


出雲横田を出発しまして、次の駅は・・・


八川駅


映画「砂の器」で出てくる(先程通りました)亀嵩駅の駅舎は当駅で撮影されました。


ご参考:Wikipediaより


スイッチバック1段目。県境に向け、どんどん標高を上げていきます。


やがて・・・


左側の線路はこの後スイッチバックして進んでいく線路。


スイッチバック駅特有のクロスポイント。


13:32 出雲坂根駅に到着。



行き止まりの駅。ここまでがスイッチバック1段目。


10分停車。


なかなか立派な駅舎。



愛称は「天真名井」(あめのまない)。
JR西日本では唯一の3段スイッチバック駅なのです。


駅前には並行する国道314号線。ここの標高が565m


駅舎に隣接して「延命水」と呼ばれる湧水があるんですよ。


延命水飲んだよ~


ホームに戻ると・・


こんな標識が・・・
次の三井野原駅は標高726mで「JR西日本の駅の中で最も標高が高い駅」だそうです。


出雲坂根駅(標高 564 m)から三井野原駅(標高 726 m)まで 直線距離では 1㎞程ですが、162 mの標高差があります。
1駅ですが所要時間18分もかかるんですね~

さぁ!出発。スイッチバック2段目に入ります。


ジンバルカメラ使用して撮影してみました。スイッチバック2段目をお楽しみください。



出雲坂根駅を出発。木次線、クライマックスに入っていきます。


1段目が離れていきました。


そして、、、3段目が接近!


スノーシェルターを過ぎたとこで停車。ここまでがスイッチバック2段目。


運転士さんが移動して方向が変わります。


進行!!スイッチバック3段目に入りました。


スイッチバック最後の3段目!
ここが一番険しかった。。。確かに「あめつち」は無理かな~


2段目が遠くなっていきます。凄い勾配だ。




視界が少し広くなったら・・


あれかぁ!


奥出雲おろちループはこの辺り。(ループ部分は見えず)


位置関係をご覧ください。



これはお借りしてきたものですがスイッチバック3段目がいかに想像を絶する場所を通っているか分かると思います。
冬の木次線の動画です。


登り切ったかな。。。


14時ちょうど・・


三井野原駅に到着。
改めて!標高726m「JR西日本の駅の中で最も標高が高い駅」にやって来たのでした。


※近くにスキー場もあるんですよ。

三井野原駅と次の油木駅の間に島根・広島県境があります。
---------点線部分


県境を通過します。島根県といったんお別れ!


そして列車は広島県へ。


広島県庄原市西城町、油木駅に到着。


油木駅を出発。


標高452mの終点備後落合駅へ向けて下っていきます。


お!


芸備線の線路が近付いてきました。


木次駅から3時間と07分。。。


立ちっぱなしで足ガクガクですが😅 終点備後落合駅に到着します。


定刻14:25。備後落合駅・・・キターーーーーー




新見方面から芸備線の列車がやってきました。折り返し新見行となります。


前回は駅舎見れなかったからね。



おつかれさまでした!



うわーーー。楽しい乗り鉄でした。もう最高!
木次線。。。どうなるのかわからないけど、、、

残ってほしいなぁ。


皆さまも普通列車の長い旅。おつかれさまでした!

コメント一覧

miyazaki_seagaia100
きじとらさん
こんにちは。

引用になりますが、こちらを。


木次線の前身「簸上鉄道」

 大原郡から仁多郡を経て広島に至る陰陽連絡鉄道の敷設は、雲南奥地の開発を企画する有忘や地元住民の強い念願であった。

 明治42年(1909) 11月、山陰線が宍道まで開通するに及んで鉄道敷設の熱はいよいよ高まった。

 大正2年(1913) には、絲原武太郎、木村小左衛門、田部長右衛門等34名の設立発起人によって、簸上鉄道株式会社創立事務所が松江市殿町につくられた。同年12月8日軽便鉄道敷設許可を申請し、翌3年3月31日(木次町誌によると1月11日となっている)許可を得たので、資本金60万円で、簸上鉄道株式会社を創立し、7月31日の設立総会では社長に絲原武太郎、専務取締役に木村小左衛門を選出。早速建設用地を買収、大正4年(1915) 10月15日に着工し、翌5年2月7日には宍道~木次間が竣工した。免許状の下付かふと同時に出された総理大臣の命令書の工事期限との関係も考えられるが、昼夜兼行の突貫工事ぶりは当時の国鉄関係者を驚かせたという。


結局、備後落合まで開通するのは昭和12年になるのですが、人的に多大な犠牲の上に完成したそうです。
きじとら
ほー、この路線は今までのとは別物ですね~。
開業当時に何がなんでも、鉄路を通すと言う、強固な意志が伝わって来ます。
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