日々のスピリチュアル日記です。

カトリックの恩恵と限界

若い頃修道生活を学ぶ前には、私はある意味自由奔放だった。

夜遊びもしたし、タバコを吸い、お酒を飲み
クリスマスの頃には、1日置きのクリスマスパーティーで一週間、朝まで遊んでいた。

中高生の時代は門限どころか、実家が自営業の為に夕飯作りで夕方6時に帰宅。その反動で親元を離れ都内に出た私には門限などなかった。
ただ、婦人科の病気を抱えていた為、男性との関係は後日病気の苦痛が伴い、あまり長い付き合いはなかった。むしろ、病気の苦痛を改善する為の薬探しに奔走、病院巡りと漢方三昧だった。

今思えば、遊んでいた頃の私は様々な価値観に苦しんでいた。育った環境の中で、自営業だった為に金銭感覚に振り回され、何事にも金銭中心に回る家庭の価値観に疑問があった。母などは、税務署が入るとなると、胃潰瘍で血を吐く始末で、子供に構うよりも多忙の為に金銭で物事をかたずけ様とするのが常の環境で育った。経済成長時期だったので、働くだけお金になる時代、両親はひた走りに走っていた。

親元を離れ遊びまわると、世の中の価値観の多様性に右往左往し、このままでは自分が駄目になると思い価値観の基準にくさびを刺そうと、幼い頃はプロテスタント系の幼稚園だった事もあり、幼なじみの助けもあってカトリック教徒となった。しかし、基本遊び人だった為に喫煙と飲酒の習慣は維持していた。

美しい世界を見るにつけ、カトリックの深さに過酷さと個人の個性を殺す疑問も感じつつも、個として十分に愛される存在である幸せと聖母の愛に育まれる幸せ感があった。
また、過去に書いた代母(洗礼上の母)の元、幼い頃からの霊障害についての自分の疑問が解き明かされていき、誕生から自我を持つまでの信徒としての成育期を過ごす事が出来た。その先の十字架を背負って生きる苦しみに耐えるには、この経験を無くしてはあり得なかったと思う。

週末に教会に行きミサに預かるだけでは、祈りの戦闘員としては使い者にはならない。私は課せられた課題をこなせなかったヘタレ小物戦闘員でしかなかったが・・・・。代母の元では、朝6時に集まり1時間のロザリオを祈る。そして、教会へ向かい日々の朝のミサに預かる。その後各々が自分の職場に向かう。多分日々3~4時間の祈り。
体の弱い私には不可能だった。この共同体は、多くの修道者、司祭を産みだした。落ちこぼれの私は、在俗修道であれる様にと導かれていたが、このレベルで神に仕える縁でしか結婚を許されなかった事は前にも書いた。

結婚は個人の自由と思うかも知れないが「あぁ、この人に食事に誘われたら付き合おう」と思っていると、ビジョンでその相手の前に天使が立っていて話せない様にガ―ドしている。「駄目だ」と思った。結局15年を失い、私は女として神を恨んでいたのだと思う。それが後日心臓を痛める結果として現れた。神がしたのでは無く、その様な念に負の力を呼び込んでしまうのだと思う。負の力は、要するに悪霊・・。一度修道系に足を踏み入れた者の、崩れた思考を狙って攻撃してくる。

もう1つ、困った事があった。在俗修道の道に入ってしまうと、清貧の誓いが強力に発動してしまう。結果、仕事でどんなに努力しようと一定の収入以上にならないように抑えられてしまう。大した頭ではないなりにスキルを上げる努力に妨げが入ったり、評価しない上司が突然現れ正規雇用を破棄したり、私が移動させられて0スタートに戻されたり、振り返れば15年ずっとそうだった。

アストラル界修道系は、こんな事の繰り返し。
努力しても収入の上がらない人は、過去生に清貧の誓いをした修道系があるかも知れない。

現在の私はこれから解放されているし、嫌々失ったエネルギーを取り戻す様に祈っている。。
ただ過去の経験が今5次元を目指す土台になっている。フワフワスピリチュアルにならない為に、攻撃的スピリチュアルにならない為に役立っている。




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