10代の終わりに、私は浪人をしても大学に落ち、専門学校に通い遊んでいた。
その時、レベルの高い大学に通いながら平行して同じ学校に学びに来ていた青年がいた。
彼はお寺の次男で、龍の付く名字をもち、夏休みには仏教徒としての修行に通う良家の青年だった。軽め系の私は、
「頭が良くても発音が下手ね、音痴でしょ。」とか好き勝手な事を言い放っていた。社会に出れば話す機会など無いエリートなに・・・・。
私はクリスチャンだと言っているのに、何故か言い寄られた。どう考えても、私は対象になるべき環境や経歴にもないのに。
これが今になって理解できる縁だと思い出す。
成就する訳はなかったが、彼は私が後々修道の
道を行く者、そして龍族由来の人間である事をどこかで感じ取っていたのかも知れない。
今の私にとって、生きて歩む道の確信となる記憶だった。
有名企業に就職した彼は、その思考をどう扱って生きたのだろう。その頭脳をもって俗世に調和して生きたか、信を捨てたのか。
お互いに、もう顔もよく覚えていないだろう昔の記憶。
上記より何年か後、私は音楽好きだったので先輩のご主人のバンド練習を見に行っていた。私自身も、誰も売れた事の無い音楽事務所の練習生をしていたが、デモテ―プ1曲を作って早々に退散した。才能が全く無かった。だから、先輩のご主人のバンド練習は見学だった。
その中のメンバー1人の青山のカフェに飲みに行くようになり、その人が1つの不思議な縁となった。
彼は芸能関係を経た親をもち、複雑な葛藤を抱えていた。父親違いのお兄さんは精神的な問題なのか、多分お母様を巻き込んでの無理心中をしたとの噂を聞いた。彼の心境は聞かなかったし、その話に触れてはいけないと思いつつ
「僧侶になりたくて寺に相談に行くが、断られる」と話しを聞き、
「カトリックの司祭を紹介しようか?」と話すと当時所属教会の神父様が開く勉強会に、彼は参加する様になった。
しかし、カトリックは強制がないし洗礼までの勉強期間が当時1年程かかり、加えて3年の信徒期間後でなければ神学校に入れなかった上、司祭からの推薦が必要だった。何より問題だったのは、今では差別になる言い方ではあるが私生児は洗礼も受け付けなかった。彼は該当者だった。
何故かどう話がついたのか、引退を数年後に控えていたカナダ人神父様が信徒年数は別として全てクリアさせ、神父様引退前後に彼は晴れて神学生になっていた。当時、所属管轄会の費用で全て賄われたと思う。私は始めこそ寄り添ったが、後は神父様に丸投げで、後に彼が司祭になった報告を聞いた。名前すら忘れてしまった神父様だったが、御自身の年を考え「最後の大仕事」の様な事を言われ、大変な愛で彼を守って下さった。
彼はもう私を忘れているかも知れないが、この人に恥じない様な生き方をしたいと思っている。また、私が代母(信徒上の母)となった女性の前においても、カトリックを離れたとは言え創造主に向かって生き、「別れた頃よりも少しは頑張ったよ」と言える自分で在りたい。