毎年、
夏休みの課題図書にはヒロシマ・ナガサキの本が推薦され、感想文を提出する。
小学生の頃から習慣のように義務づけられたそれは大人になっても残り、今も夏になると読まずにはいられない。
すでに私の心の中には、
たくさんの “原爆の子” たちがいるから。
今まで読んだ、すべての人たちがいるからだ。
理不尽に、暴力的に、
まだあるはずだった未来を奪われた彼らのために、一滴でも多くの涙を注ぎたい。
“同情は、この世でもっとも美しい愛のかたちの一つである” と、誰かが言っていたわよね。
私もそう思う。
思わず、我知らず、激しく心を揺さぶられて、いてもたってもいられない。
とても他人事とは思えない。
見たこともない1945年の夏の青空が、ささやかな日常の喜びが懐かしいと感じる。
すさまじい暴力にさらされ、呆然と燃えさかる炎を眺め、逃げ惑い、混乱のあとに襲いくる絶望と恐怖と希求がイヤというほど伝わって、あなたとの境目が見えなくなる。
あなた は わたし だ。
どうにかして、助けてあげたい。
寄り添って、手をとり、大丈夫だと言って、
安全なところへ連れて行ってあげたい。
そんなふうに思う。
***
でも、本を読むことでトリップするようにその時代に入り込み、その人になりきって追体験すると、確実に、生命力が削がれる。
そのため、ここ数年の自分の体調が悪かった時期には読むことができなかった。
直近、2015年の読書記録
『原爆供養塔ー忘れられた遺骨の70年』
堀川惠子 著
『いしぶみ 広島二中一年生全滅の記録』
広島テレビ放送 編
『被爆樹巡礼
原爆から蘇ったヒロシマの木と
証言者の記録』
杉原梨江子 著
『原爆の子 その後
「原爆の子」執筆者の半生記』
原爆の子 きょう竹会 編
『あんずの木の下で
体の不自由な子どもたちの太平洋戦争』
小手鞠るい 著
『空が、赤く、焼けて』
奥田貞子 著
このあとは、
2016年公開 こうの史代 原作
アニメーション映画 『この世界の片隅に』
そして、今年。
ようやく心身ともにバランスを取り戻し、気力が戻ってきて、観ることができた
2019年公開
『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』
これは、2016年版のロングバージョンだそう。2016年版は原作の上下、2019年版は原作の上中下を映像化したものだとか。
***
物語は、たいてい なにげない日常から始まる。
好きなようにおしゃれができなくても、学校で勉強するよりも労働に駆り出されても、充分に食べることができなくても、我慢して節約を重ね、つましく身を寄せ合って生きている。
全ては、そういう ふつうの人たち
・・・子どもたちの話だ。
『いしぶみ 広島二中一年生全滅の記録』は、
子ども達ひとりひとりの記録を辿る。
人は、数じゃないの。
ひとりひとりを見て、知って、忘れないで欲しい。
『原爆供養塔』は、
強烈な生々しい描写に目眩がした。
こんなになっても人間って生きてるんだ・・・という衝撃。恐怖。嫌悪感。
最近の映画やドラマは、ずいぶんと思想的でキレイに補正されてるんだなと思った1冊。
そういえば、TV放送されてた
初期の頃のアニメ『はだしのゲン』なんかは、
おどろおどろしいくらいの描写だった。
年々、マイルドに修正されていって違和感を覚えたっけ。
原爆資料館の蝋人形も撤去されたのよね。
私は、修学旅行で見た世代だ。
思い出すと、そこはうす昏い洞窟のような印象で、蝋人形たちが今にも動き出して、こちらに向かって来そうに感じられた。
灼かれて熱く、息苦しい気持ちを今も忘れない。
今は、ずいぶんキレイにリニューアルしてしまったようで、残念に思う。
『空が、赤く、焼けて』は、
新聞の広告を切り抜きしていたので、そのまま書き写すことにする。
8月6日の原爆投下直後に広島で出会った、死を前にした子どもたち。その最期の言葉を克明に残した日記。「正子はいい、もう痛くない、おじいちゃんに薬つけて・・・」幼子が苦痛に耐えながら遺した、これほどまでに神々しい言葉をどう読みますか。
本は図書館で借りて読んでいた。
でも、この1冊は手元にある。
子どもたち、ひとりひとりの言葉が、ここには書き遺されている。
***
この犠牲が必要だった、なんていう人とは
心底、同じ世界線に居たくないなと思う。