それは非常に大切な事で、自分自身に課したモノですね。
自分の場合、
たとえば、それは「食」であり、大好きな「お蕎麦」。
けど、自分以外に迷惑かけるものでもなく、また、高度な味覚を持っているものでもなく、
はたまた、そば打ち名人を、蕎麦の品種や、蕎麦粉の種類、水質をわかるわけでもない。
単純に、「美味しいお蕎麦を楽しみたい」だけにこだわる。
それは、「食べているときの幸せな時間」も含まれます。
だから、お蕎麦を食べるためだけに、山形へ行ったりもします。
そして、そのお店の「主張」を味わうのです。
この「主張」に文句を言うことはしません。
何故なら、そのお店の「主張」も楽しみのひとつだからです。
最後に蕎麦湯を頂き、幸せな気持ちになったとき、
遠路はるばるやって来たことに後悔などないのです。
いや、もともと自宅を出発したときから後悔など無いのでしょう。
蕎麦に興味ない人からすれば、非常にくだらない行動や考え方ですね。
それが、「たかが蕎麦、されど蕎麦」なんです。
自分のこだわる対象はまだありますが、
こだわればこだわるほど、他人のこだわりが理解できるようになります。
「あの人は、ここにこだわっているんだ!」、「あの人は、全然こだわっていない!」。
すると、立場やポジションが変わっても、年齢や生活環境が違っても、
「こだわっている人」を真摯に応援したくなります。
逆に言えば、こだわらない人は誰も応援しません。
誰も反応しませんし、誰も声かけてくれません。
「たかがバレー」と思っても「されどバレー」と思える自分がいたら、
それは、自分が「バレーの何かにこだわっている」証拠かもしれませんね。
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