ふたりのウルトラマン
沖縄本土復帰50年ドキュメンタリードラマ
脚本家・金城哲夫と上原正三の生涯に迫る人間ドラマ。
円谷プロの企画文芸室長として「ウルトラマン」の企画立案とメインライターを務めた金城と、金城の背中を追いながら成長していく上原正三の夢と挫折を描く。
6月18日(土)にNHK総合で再放送されるとのことで、再掲させて頂きます――。
国民的ヒーロー誕生の舞台裏
円谷プロの企画文芸室長として「ウルトラマン」の企画立案とメインライターを務めた金城と、金城の背中を追いながら成長していく上原正三の夢と挫折を描く。
6月18日(土)にNHK総合で再放送されるとのことで、再掲させて頂きます――。
国民的ヒーロー誕生の舞台裏
日本初の怪獣特撮ドラマ「ウルトラQ」に、沖縄出身の両親を持ち幼少期に沖縄で育った若き脚本家・金城哲夫が参画していた。
金城の誘いにより、アメリカの統治下にあった沖縄からパスポートを持って上京した上原正三は、金城と円谷プロに集う人達と交流しながら、脚本家として成長していく。
当時の映像や当時を知る関係者の証言を交えながら、国民的ヒーロー誕生の舞台裏を描く。
『ウルトラQ』の脚本を執筆していた1965年から、金城さんが亡くなる1976年という10年を1時間半という短時間で良く描けている思います。
金城さんが演出を担当した沖縄国際海洋博覧会(1975年)と、海洋博に反対する沖縄市民の映像も初めて見ました。
海洋博が閉幕した1月18日から約1カ月後に亡くなった金城さんにとって、本土と沖縄との懸け橋になれなかった無念さは想像以上だったのでしょう。
また、「光が強ければ強いほど、影が濃くなる」という真理を感じざるをえません。
ちなみに、作品中に出てくるバーは、祖師谷昇進会商店街の中ほどにあった「エーゼット」で、円谷プロ関係者行きつけのお店でした。
元々は喫茶店だったそうですが、常連だった金城さんや中野さん、円谷一さんらがコーヒーや紅茶では満足できなくなり、お酒を置かせてもらうようになったとか。
そして、和室で脚本を書いているシーンは、祖師谷商店街の裏手にあった「旅館はなぶさ」です。
【金城哲夫の死】
金城さんは、泥酔状態で離れの2階の書斎に入ろうとした時、鍵が開いていなかったため、階段横の手すりを乗り越えて窓から入ろうとして脚を滑らせて転落。
その際に頭を打って意識を失い、3日後の1976年2月26日に亡くなりました。
その金城さんが使われていた書斎(現在は金城哲夫資料館)は、最近改装されて階段の位置も変わり、窓も無くなってしまいました。
そのため、その辺りの演出がちょっとわかりづらかったのが残念。離れの書斎だけセットで作るのは予算的に難しかったのでしょう。
ただ、世間的に、円谷英二邸跡や東宝ビルト跡、円谷プロ初代本社跡などの“ウルトラの史跡”の扱いがぞんざいなのが気になります。
「子供時代にあれだけ楽しませてもらった国民的作品を生み出した伝説の場所の扱いが、そんなことでいいのか」と思わざるをえません。
【年月日の不思議な因縁】
金城さんが亡くなった年月日には、少し不思議な因縁があります。
金城さんといえば、脚本原稿にウルトラマンの故郷をM87星雲と書いたところ、数字を逆に印刷されてしまい、M78星雲になってしまったことで有名です。
その“数字を逆にする”という視点で、金城さんが倒れて意識を失った日「76' 2.23」の西暦と年月日をそれぞれ逆から読むと、「67' 3.22」となります。
実はこの年月日、今は無き美センの特撮ステージで、ウルトラマンがゼットンに倒されて意識を失うシーンを撮影した日なのです。
ちょっと考えすぎ、こじつけすぎの面もありますが、少し戦慄が走りました。
【補足】
ちなみに、この作品の脚本は、上原正三さんが執筆した「金城哲夫 ウルトラマン島唄」を元に書かれたそうです。
この本は1999年に出版され、現在は絶版になっていて入手不可能になっているようです。
【出典】「ふたりのウルトラマン」「ウルトラマン1966+ Special Edition」
「ウルトラの揺り籠」