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「トキワ荘と手塚治虫 ージャングル大帝の頃ー」

2021年07月24日 | 日本文化



 トキワ荘と手塚治虫 ージャングル大帝の頃ー



 “マンガの神様”手塚治虫トキワ荘時代の漫画原稿を紹介する展示会。

 関西時代に描いたデビュー当時の作品の複製原画や、上京後に描いた作品の直筆原稿が時系列、作品ごとに展示されています。

 会期は9月5日(日)まで延長になっており、要要約で観覧料は大人500円(子供100円)。







 トキワ荘前史



 手塚治虫がトキワ荘に住んでいたのは、1953年初旬から1954年10月の2年弱。





 今回は、この“トキワ荘前史”とも呼ばれる時代に手塚氏が描いた『ジャングル大帝』『鉄腕アトム』『リボンの騎士』『火の鳥』などの直筆原稿を展示。





 また、手塚氏が関西から東京へ進出するまでの流れや、トキワ荘転居後のトキワ荘のマンガ家たちとの交流などのエピソードも紹介します。






 手塚治虫のエピソード



 「トキワ荘と手塚治虫」展では、『ジャングル大帝』の最終回や、藤子不二雄両名、石ノ森章太郎、赤塚不二夫の共作『ぼくのそんごくう』などの直筆原稿を展示。

 『愛…しりそめし頃に…』で漫画でも描かれているので、紹介させて頂きます。


【ジャングル大帝の最終回】

 当時、手塚氏にはアシスタントがいなかったため、藤子不二雄もよくトキワ荘14号室に手伝いに行ったそうです。

 ジャングル大帝の最終回の原稿の仕上げ作業は、藤子不二雄Ⓐが担当しました。


       

       

       

             
        [愛…しりそめし頃に… / 2巻・P160-163]



【ぼくのそんごくうの共作代原】

 「漫画王」で『ぼくのそんごくう』を連載していた手塚治虫が、締め切り前夜に失踪。

 困り果てた編集者は、トキワ荘にいた藤子不二雄の二人、石ノ森章太郎、赤塚不二夫に4人に8ページの代原(代わりの原稿)作成を翌朝9時までの期限で依頼した。

 しかし翌朝、手塚氏が編集部にひょっこり現れて原稿を手渡したことで、徹夜で仕上げた共作は無駄になってしまったという。


       
       
       
       
       [愛…しりそめし頃に… / 1巻・P192-198]



【石ノ森章太郎との共作アトム 】

 石巻の高校二年だった石ノ森章太郎。

 雑誌への漫画投稿の常連で名が知れていた彼に、手塚治虫が当時連載中だった鉄腕アトムの別冊付録の背景描きのアシスタントを電報で依頼。

 上京した石ノ森氏は下書きの原稿を持って石巻に戻り、背景だけでなく人物にもペン入れして送り返して手塚氏を驚かせたという直筆原稿も展示されています。


            



【鉄腕アトム第34話 絵コンテ】

 テレビ番組『鉄腕アトム』第34話「ミドロが沼」。

 この回は、虫プロのスタッフの夏休みを確保するため、トキワ荘メンバーが作ったアニメ制作会社「スタジオ・ゼロ」に外注された。

 しかし、絵の個性が強い石ノ森章太郎、藤子・F・不二雄、藤子不二雄Ⓐ、つのだじろうらが描いたアトムは顔も頭身もバラバラだったという。

 (展示会ではその4人の直筆の絵コンテが展示されています)

 





      
 編集後記



 これまで「こち亀」の秋元治、「ドラゴンボール」の鳥山明、「ジョジョ」の荒木飛呂彦、「ドラえもん」の藤子・F・不二雄などの直筆原稿を見てきました。

 その中でも、日本漫画の黎明期に描かれた手塚治虫の直筆原稿は、間近で見ると歴史の重みのようなものが伝わってきました。

 また、展示物の閲覧中に来場者がひっきりなしに訪れ、親子連れも多く、改めて手塚治虫の国民的人気を実感しました――。


【出典】「豊島区立トキワ荘マンガミュージアム」「愛…しりそめし頃に…
    「章節 トキワ荘の青春」「ゼロの肖像~トキワ荘から生まれたアニメ会社の物語~
    


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