東京大空襲・戦災資料センター
東京江東区にある東京大空襲に関する資料館。
1970年に早乙女勝元氏が中心となり結成された「東京空襲を記録する会」と政治経済研究所が募金を集め、2002年3月9日に開館しました。
この資料センターは、都民が被った戦争の惨禍を次代に語り継ぎ、平和の研究と学習に役立つ場になってほしいとの思いが込められています。
今日で東京大空襲から79年ということで紹介させて頂きます――。
無差別爆撃による火炎地獄
1945年3月10日深夜0時8分に始まった東京大空襲。
300機を超えるB-29爆撃機によって、2時間で33万発以上の焼夷弾が投下され、100万人が罹災し、10万人の市民が命を失いました。
別館1階
空襲による焼失地域などを示した被災地図、空襲を描いた絵画、焼け跡の写真などのほか、焼夷弾がかすめたピアノなどが展示されています。
また、世界や日本各地の空襲も取り上げ、現在まで続く空襲の歴史と概要が年表形式で紹介されています。
【焼野原になった東京】
空襲によって焼き尽くされ、破壊し尽くされた東京の様子が紹介されています。
【山積みの死体の絵】
焼け焦げた死体が山のように積み重なっている様子を描いた絵。
【空襲時のピアノ】
東京大空襲時に焼夷弾がかすめたピアノも展示されています。
【東京空襲被災地図】
東京空襲による焼失地域、仮埋蔵地、慰霊碑などを示した被災地図。
本館2階
「戦時下の日常」「空襲の実相」「空襲後のあゆみ」「証言映像の部屋」という4つのコーナーで構成されています。
【灯火管制の部屋】
空襲の目標にならないように、屋外に灯りがもれないようにした部屋が再現されています。
【学童疎開した子供と家族の手紙】
【焼夷弾】
焼夷弾の実寸大の模型や実物が展示されており、その大きさを視認したり、構造を理解することができます。
【空襲の熱で溶けて固まった硬貨】
【赤ちゃんの着物】
激しい空襲の中、赤ん坊を背負った母親が避難先の建物に逃げ込んだが、赤ん坊はすでに亡くなっていました。
その時の赤ん坊が来ていた服が展示されています。
【夜の体験】
1945年3月10日の東京大空襲の体験者による当時の様子が、文章と絵で紹介されています。
炎が燃え移った赤ん坊を背負って気が狂ったように走り回る母親や、火だるまになって転げ回る子供の姿もあったそうです。
【伝単】
アメリカ軍によって作られた日本の民間人や兵士の戦意を失わせるためにばら撒かれた印刷物。
【階段の踊り場】
・東京都江東区北砂1丁目5−4
※都営大江戸線「西大島駅」より徒歩15分
編集後記
日本の首都である東京の空襲資料館ということで、都立の大きな建物だと思って来館したら、民間経営のこじんまりとした建物でちょっと意外でした。
しかし、色々考えさせられる展示内容で、戦争に対する認識を深めるきっかけになります。
実物サイズの焼夷弾の模型の展示では、東京を焼き尽くした爆弾の大きさを視認することができ、戦争の現実の一部を体感した気分になりました。
1945年3月10日の東京大空襲の後、辺り一面が火葬場のようになっていて、あちこちに焼け焦げた死体が山のように積まれていたといいます。
「(戦争に)負けた」と誰もが思ったが戦争は終わらず、ラジオからは「空襲は怖くない。逃げずに火を消せ」という放送が繰り返し流れていたそうです。
東京大空襲で家族を失った子供もたくさんいたそうで、戦災孤児の方の証言を読むと戦争の悲惨さを痛感します。
平和を当たり前のように享受することに慣れてしまうと、その有難さや尊さもわからなくなるのが戦争が繰り返される要因なのかもしれません――。
【記事引用】「東京大空襲・戦災資料センター」