尾崎豊の第二の故郷
生まれ故郷の練馬から小五の時に引っ越してきて、尾崎にとって第二の故郷となった朝霞。
家を出て一人暮らしを始めてからも度々、生家に戻ってきていました。そんな朝霞の尾崎ゆかりの地を紹介します――。
朝霞駅
東武東上線の停車駅で、尾崎の学生時代の最寄り駅。生家までは南口から徒歩25分ほど。
1991年12月29日、母親の絹枝さんは駅のホームに向かう途中、階段の下から2、3段目でうずくまり、朝霞厚生病院に緊急搬送。
しかし、15時20分に急性心不全で帰らぬ人になりました。享年61歳でした。
昼寝をしていた父親の健一さんは、門扉を開ける音の後に聞こえたスクーターの始動音と走り出したエンジン音を聞いたのが最期の別れとなりました。
翌日に通夜が行われ、大晦日の31日に葬儀。尾崎は火葬場で煙突の煙を見上げていた時と、告別式の読経の時の二度泣いたそうです。
黒目川
東京都および埼玉県を流れる荒川水系の一級河川。
中学三年生の頃、尾崎は毎晩午前3時まで受験勉強をして、朝6時に起きて黒目川の川沿いをジョギングする生活を続けていました。
尾崎の父親である健一さんも、ミニチュアダックスフントのジャニスを連れてよく遊歩道を散歩していたそうです。
・埼玉県朝霞市大字溝沼485
※朝霞台駅より徒歩10分
朝霞第一小学校
尾崎が小五の二学期に東京・練馬から転校した小学校。
「転校生」「東京」というブランドで女子に人気になり、それを妬んだ男子からいじめられるようになりました。
そのため、毎朝普通に家を出て、共働きだった両親がいなくなる昼にこっそり家に戻る登校拒否生活が半年ほど続いたそうです。
その間、物置に閉まって使わなくなっていた兄のアコースティックギターを弾くようになり、自分の部屋でひたすらギターの練習をしていました。
「さだまさしの『縁切寺』をよく弾いていた」と中学の学園祭でのステージで語っています。
転校先の学校でいじめられて登校拒否になり、部屋で兄が使わなくなったギターを弾き始めたのが、アーチスト・尾崎豊の原点です――。
生家
尾崎が小五の時に練馬の都営住宅から引っ越した一軒家。朝霞台駅南口から徒歩20分ほどの所にあります。
10歳から高校卒業、そしてデビュー翌年の年初まで住んでおり、新婚時代にも一時期繁美さんと暮らしていました。
二階の左側が尾崎の部屋で、右側が康さんの部屋。玄関を開けると廊下の先に階段があり、階段の頂上の左右に部屋があります。
写真は、青学高等部1年生の時、家の門の前で通学前にポーズをとっている尾崎。奥に見える原付は絹江さんが使っていたもの。
太陽堂
少年時代の尾崎豊がよく通っていた老舗の駄菓子屋。
デビューして間もない頃に書かれた尾崎のサインが飾られており、おしゃべり好きな御年76歳のおばちゃんが当時の思い出話をたくさんしてくれます。
尾崎は店内にあるゲームをよくやっていたそうで、小学生の頃は大人しい様子だったため、歌手デビューした時は驚いたそうです。
・埼玉県朝霞市溝沼2丁目12−17
神明坂
『坂の下に見えたあの街に』の舞台となっている坂。”しんめいざか”と読みます。
尾崎豊の生家へは徒歩5分ほどで、当時、朝霞駅を最寄駅にしていた尾崎が中学時代や高校時代にいつも自転車でこの坂を通っていました。
また、1985年2月3日に朝霞の生家を出てひとり暮らしを始める時も、自ら運転する車でこの坂を通って、都内のマンションへと引っ越して行ったそうです。
健一さんは仕事中だったため立ち会っておらず、帰宅後に絹枝さんから「豊、今日行ったわよ」と報告を受けたといいます。
滝の根公園
朝霞の生家から徒歩5分ほどの場所にある公園で、尾崎が小学校の頃、近所の友達とここでよく遊んでいたそうです。
赤い吊り橋が特徴的な公園で、雑木林に囲まれ、ターザンロープやアスレチック遊具などの遊具も充実しています。
・埼玉県朝霞市溝沼2丁目4
旧・西友朝霞店(現・マルエツ朝霞店)
1983年12月1日に1stアルバム「十七歳の地図」がリリースしたされた時、自分のレコードが売られているか確認しに行ったお店。
しかし、自分のレコードは置いておらず、CBSソニーに電話して「朝霞の西友に自分のレコードがない」と須藤さんに伝言を残しています。
西友朝霞店は2009年3月31日に閉店し、現在は店名はマルエツとなっており、レコード売り場もかなり縮小されています。
後に、300万枚近い売り上げを記録する名盤となることもつゆ知らず、失意のまま尾崎はこのエスカレーターを降りたんでしょうね、、、
・埼玉県朝霞市本町1丁目12
※東武東上線「朝霞駅」南口より徒歩10分
朝霞市民会館
尾崎がデビュー前に2曲弾き語りで演奏した場所。
当時、越境通学しなければ進学するはずだった朝霞第三中学校が毎年行っていたみつばちコンサート内で演奏したとのこと。
・埼玉県朝霞市本町1丁目26−1
※東武東上線「朝霞駅」南口より徒歩15分
城山公園
尾崎が1988年5月の結婚後、しばらく朝霞の生家に住んでた頃、繁美さんと一緒にジョギングがてら訪れていた公園。
ジョギングをする尾崎の後ろを繁美さんが後ろから自転車で追いかけていたそうです。
繁美さんは公園で尾崎から空手の取り組みを教えてもらったりして、「その時はとても楽しかった」と語っています。
・埼玉県朝霞市岡3-386
※東武東上線「朝霞台駅」から徒歩22分
※朝霞市内循環バス「城山公園」下車徒歩1分
旧ロイヤルホスト新座店
高校時代の尾崎が、日曜祭日に皿洗いのアルバイトをしていたお店。
午前10時から午後8時まで立ちっぱなしの作業で、「店頭価格の半額分の昼食・夜食分を給料から差しひかれた」と初給料日にブツブツ言っていたとか。
現在は、ステーキハウス・ブロンコビリー新座野火止店にお店が変わっていますが、お店の形はそのままにリニューアルして営業中。
・埼玉県新座市野火止8丁目4−46
※尾崎の生家から自転車で約15分
朝霞市立図書館
1987年10月に開館した市立の図書館で、朝霞駅から500mほどの所にあります。
尾崎豊の生家のある朝霞市の図書館ということで、他の図書館に比べて尾崎豊関連の本、写真集など数が圧倒的に多くて驚きます。
郷土資料のコーナーにも尾崎豊関連本があるのが興味深いです。
・埼玉県朝霞市青葉台1丁目7−26
※東武東上線「朝霞駅」南口より徒歩8分
編集後記
尾崎豊の生家として現存する朝霞の一軒家。
家主だった父親の健一さんも亡くなり、今は誰も住んでいません。尾崎家の長男である康さんは「将来的には取り壊したい」と話しています。
小学校でのいじめで登校拒否になり、自分の部屋で兄が使わなくなったアコギの練習に明け暮れたことでロックアーチスト・尾崎豊が産声を上げました。
デビューアルバム「十七歳の地図」のレコーディング、伝説のデビューライブや日比谷野音でのダイブの日も、この家から向かっています。
また、尾崎が逮捕された時も、早朝に警察がこの家の二階に踏み込んでいます。
そんな尾崎豊の伝説がつまった生家。朝霞市の指定文化財として、もしくは移築しての「尾崎豊記念館」としての維持・保存を強く望みます――。
なお、朝霞の尾崎ゆかりの地めぐりは、駅前のHELLO CYCLINGのレンタサイクルで巡ることをお勧めします。
【記事引用】 「尾崎豊 卒業」 「foreverOZAKI」 「exiteニュース」etc..