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サンタクロースの起源
サンタクロースの起源は、4世紀のトルコに実在したニコラウスという司教。
ニコラウスはいつも貧しい人や子供たちのために施しをしていたため、多くの人に慕われて、後に聖人とされて聖ニコラウスと呼ばれました。
サンタが真夜中にこっそりと煙突から現れて、靴下の中にプレゼントを入れていく伝説は、そんな聖ニコラウスのある善行にルーツがあります。
伝説の由来
「ニコラウスの近隣に、貴族出身でかつては富裕だった父親が3人の娘と住んでいました。しかし、財産を失い貧しい生活のため、父親は娘たちを結婚させることができませんでした。
これを知ったニコラウスは、夜ひそかにその家の煙突から金貨を投げ込みました。すると、金貨は暖炉に干していた靴下のなかに入りました。
ニコラウスは、2日目と3日目の夜にも金貨を投げ入れ、3人の娘は結婚できたのです。」
この話が人々の間に広まり、当時の贈り物をする習慣とが結びついて、伝説の由来となっていったと考えられています。
サンタクロースの生誕の地
ヨーロッパ各地では、この聖ニコラウス祭が12月6日に行われ、子供たちにプレゼントを配りにくる聖人を迎える伝統行事として今でも人々に親しまれています。
17世紀にアメリカに植民したオランダ人がN.Y.でこの聖ニコラウス祭を行った際、聖ニコラスを意味する「シンタ・クラース」というオランダ語が英語に転じる際に「サンタクロース」に変わりました。
そのため、ニューヨークが "サンタクロースの生誕の地" なのです。
サンタクロースの原型
現在のサンタクロースの原型は、1822年にムーアというアメリカの神学校教授が自分の子供達のために書いた「セント・ニコラウスの訪問」という詩の中から生まれました。
クリスマス前夜に、サンタクロースがやってくる楽しい光景が綴られており、これまでのロバに乗った聖人ニコラウスとは違った姿が描かれていました。
「みんなが寝静まるクリスマスイブの夜に、8頭のトナカイがひく小さなソリに乗った小がらで陽気なおじいさんがやってきて、背中の袋一杯のおもちゃを抱えて煙突から暖炉を抜けて飛び出した」
「いたずらっぽく目が光り、バラ色のほおにえくぼが二つ、鼻はサクランボのようにぷっくりして、まあるい顔で、笑うたびに大きなお腹がよく動く、愉快な小人のおじいさん」
やがてこの詩集が絵本となってアメリカ全土に普及し、威厳のある地味な守護聖人像から離れて、陽気なアメリカ生まれのサンタクロースが誕生したのです。
しかし、この頃のサンタクロースは、聖ニコラスや妖精トントゥのイメージが渾然一体となっており、聖者の顔で描かれたり、小さな小人のように描かれたりしていました。
最も現代のサンタクロース像のイメージに影響を与えたのは、トマス・ナストが描いた1863年の「ハーパーズ・イラストレイテッド・マガジン」への挿し絵。
また、サンタクロースの仕事場は北極圏にあることが、彼の作品の中で初めて登場しました。
ナストの作品以降、サンタクロースという呼称だけが使われるようになり、セント・ニコラウスとは別の人物として両方が並記されることはなくなりました。
現代のサンタクロース像の完成
サンタクロースの背丈が大きくなったのは、1930年代にコカ・コーラ社がハッドン・サンドブロムの描いたサンタクロースを採用したのがきっかけ。
襟や袖に白い毛皮の縁取りをあしらい、コカ・コーラのコーポレートカラーである赤いスーツを着た体格の良い、愉快な老人を新たなサンタクロースとして描いたのです。
そのサンタクロースが、コカ・コーラのビンをラッパ飲みしているイラストを、アメリカ中の看板、雑誌、商品のカウンターに登場させました。
それまでは地方地方で衣装が違っていたサンタクロースも、これ以降は赤い服のイメージで統一され、世界中に定着していったのです――。
編集後記
サンタクロースの存在を信じていたのは何歳までだったんでしょう。
でも、サンタはいないとわかってからもサンタに対する夢や憧れみたいなものは、ずっと持っているような気がします。
赤い服装やクリスマスのイメージと結びついて、「サンタクロース」という名前からは、夢や包容力、煌びやかな感じなど、色々な幸福なイメージを連想します。
サンタクロースという愉快で幸せな象徴を誕生させた歴史に拍手!
【記事引用】「HIROO SANTALAND」「クリスマスって何?」「サンタクロース外伝」
【画像引用】「サンタクロース・ミュージアム」「World Navi」「クリスマスのキュートグッズ」