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爺々ネタ?

「ある個人的な思いⅢ(五輪報道形態)」(oji3のブログ675)

   「何これ? 」:悟り

 「悟りとは悟らで悟る 悟りなりけり
  悟る悟りは 危ないことぞ 」
                       (古歌:詠み人知らず)

  悟ろうとして悟ったとの思いに、真理はない。
  悟ったとの意識を持つこと自体、悟りではない。

【閑話休題】:「五輪報道形態」

 例えば、今回平野選手が「金メダル」を獲得しましたが、
この事象の表現形態についての受け取り方の違いを記す。

表現①
日本の平野選手がスノーボード男子ハーフパイプで金メダルを獲得」

 この表現は、日本がスノーボード男子ハーフパイプと言う競技で、
金メダルを獲得した。その選手名は平野選手であったとの報道形態です。
平野選手は、日本の単なる「駒」にしか過ぎない。

 つまり、「日本」が勝ったと強調したい訳です。
まさに、「国別対抗戦」での勝利との報道です。→国が主。

表現②
「平野歩夢選手がスノーボード男子ハーフパイプで金メダルを獲得」

 こちらの表現は、スノーボード男子ハーフパイプと言う競技で、
「平野」という選手が、金メダルを獲得した。

 ちなみに、その人の国籍は「日本」であったとの報道形態です。
「国」は、付随的な扱い。→個人が主。

 さて、五輪においては「国」と「個人」どちらが主なのでしょうか?
どちらが主なのかは、「言わずもがな」ですが………

 ちなみに私は、「表現②」がイイですネ。

 まあ、どっちでもイイと考えるのも、幸せでいいかも
知れませんが……

 「国、国」と強調しすぎて失敗した過去もあるので……
その様な方向に向かわない様に、気を張るべきかと………

 * カフェオレの湯気に感じる寒さかな
           2022.02.24/moai291

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