今までの日本社会は先祖を敬う心と子孫に教える心が有ったので夏はお盆休みで13日から16日迄は家族と先祖の為に、お盆休みが有り古里に帰って墓参りする人々による電車や車が移動手段に使われ多くの人々が必死に頑張って努力を惜しまなかった。しかし、現在は本当に自分の世代の事、自分の事、自分の生活の事だけを考えているので企業でも、お盆休みを分散させて行う傾向が有る。分散しても墓参りや風習を行うなら良い事なんだが現在の日本人は墓参りさえ行かないし先祖なんて糞食らえと言わんばかりに無視して血筋を継承する事や名字や様々な日本の歴史観は薄れて何でもあり、日本国や地球は自分の為にあるような振る舞いをする事が普通になって個中心の生き方で今後の子供達に日本人の定義や日本国の在り方や自分達が大和民族の末裔に生まれた事の地球での存在感も無くなり何の為に日本に生まれて誰のルーツで亡くなった親戚縁者の存在を寺院や墓で確認して自分が存在している。日本人の責務と言うか地域の仕来りも何も無く日本人特有の優しさも無くなり次に来る時代は世界中何処に行っても余り多くの変化が無い世の中に成ってしまうのでは無いでしょうか?本当に個中心の社会を日本社会は求めているのでしょうか?アベノミクスで株が上がった景気が良くなった。そんな事は庶民には関係ない。実際に所得が増えてボーナスが潤沢に支給されていればお盆休みが存在するのでは無いでしょうか?無理してでも休む、仕事を完全に休止しても大丈夫な世の中。子や孫は嫌々ながら毎年毎年、海水浴や買い物やお小遣いに釣られて大人にお付き合いをする事。そんな幼少時代を私は過ごした記憶がある。それが悪い事かと言えば今に成っては人間関係や村意識、親戚縁者のお付き合いは無いと成らない。それが日本人の安堵感に繋がり従兄弟に対しても使えるお金が有る世の中。昔は普通に訳も解らない遠い親戚でも来れば御飯や泊めたりして色々な事を話し合って世の中が成立していたので完全な孤独の人は少なかった。今でも完全孤独の人は多く存在しないが自分の事だけを考える日本人だから親戚縁者やお盆や墓参りや血筋や名字に対して拒否感を出しているので人間関係は薄くなり他人でも何でもSNSやフェイスブックの友達の方が金が掛からないから好きになるし離れる事も簡単だからプレッシャーもなく精神的な抑圧感からも解放され無駄と思われる神社仏閣に使うお金や檀家制度の事など考えないし日光の猿になれば良い。と、言う事は国としての団結は無くなり金が稼げれば、それでよいと思うのだが稼ぐ事も出来なくなる時代は近づいている事を知るべきだし、その時に一升の米を分け合う精神が直ぐに復活出来るかも疑問だと思われる。アルバイトの好い加減な写真に対して親が謝る事もなく昨日も或るJA職員の会話を盗み聞きしたが会話は米国流に欺しているような聴き方。自分の立場が強ければ目上の人にもタメ口。それを指摘しない目上の先輩。こんな世の中では完全に日本は消滅し米国の属国になった方が素敵なんじゃないでしょうか?少し日本人を考えて今後の事を何がしたくて何で生まれて何に生きていくのか考える事をするべきです。政治家は馬鹿だから何も出来ませんよ!何もしてくれませんよ!責任は生きている限り確実に背負う事を忘れないで下さい。自分の子供の犯した事を親が謝らないで誰が責任を取るんでしょうか?社会ですか?教育ですか?違うでしょ!何か?