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氷月神示 他の暗号解読編 290

国之常立神より皆様へ

ちょっと寄り道しましたが、又元に戻ります
わし、寄り道する癖があるのやけど、別扱いのブログ=第2部に相当 (霊的な話が主体の本編。「氷月神示 その14~白鳳の13 [=その813]」
アクセス法は、下のバックナンバー月の23年10月、「解凍 その1906」にあり)
では、よく寄り道して雑談しとった、
けどここ (第3部に相当、暗号の解読が主体の編) ではほとんど寄り道もせんと、まっすぐまじめーに、ひたすら歩いとるで、
そやけどたまには、寄り道したってよかろう、
さ、ちょっとお茶飲んだつもりで、次行きまひょ、

これまで3つの組み合わせの暗号群について、過去の答えを振り返り、抜粋して再紹介しました…
「トーマの心臓」+日月神示 (暗号総数38個)
「トーマの心臓」+ヨハネの黙示録 (暗号総数6個)
「11月のギムナジウム」+日月神示 (暗号総数9個の内、6個を最近紹介)

…では次は、残りの
「11月のギムナジウム」+ヨハネの黙示録
の暗号が未解読でしたので、本格的に取りかかりたいのですが、その前に
なぜ「11月のギムナジウム」が、イブ=ミロクの翠さんと関係があるとされるのか、なぜ予言書に組み込まれているのか、その理由を先に述べてしまいたいと思います…
全く別の作品でありながら、共通の人物が出てくる「トーマの心臓」については、以前お話しした通り、背教して悩める友人を、救う友たちの話でした
それが、ミロクの翠さんで言えば、彼女が覚醒して気の術をたくさん会得し、天国に帰れず苦しんでいる多数のサタン達を、心を込めて祓い清め、昇天させる力を発揮したことに例えられます…
なので、神様とアダムが昔物語を予知して、2つの予言書に入れておいたのです…
また、翠さん自身も高校生の頃この物語に出会い、たちまち好きになり、しばらくのめり込んでいました…
(あまり好きになり、人を助けるためなら自分の命を顧みなくてもよいと、18才の頃考えるようになり、怖くなったので、それから30年程は、遠ざけていました…
しかし彼女は覚醒してからはあのマンガと自分の共通点を自覚し、改めて読み直し、今はその比喩的な意味を理解しています)
さて、もう少し解釈を加えます

最初に命がけでユーリを救おうとし、遺書を残してしんでしまうトーマ
=翠さんが、特に手こずるサタンのお祓いをする時、もう術を使わずに、自分の幽体を無防備にして、サタンの出す悪質な極低波動の危険にさらすことを覚悟して、深い愛情だけで祈り、サタンから黒い邪気をはぎ取って自分にかぶせる
そして、その間に白く変わったサタンを促し、昇天させる
昇天を見送ったら、急いで祈り、自分についた邪気を清めて、雲散霧消させる…
ここまでが1つの流れですが、彼女は一旦、自分(の幽体)が危険の中でしんでもよい位の気概になります
それを、トーマが自分の身をなげうつ覚悟に例えることができます
彼女は、一度擬似的にしぬほどの自己犠牲心を払い、心からサタンの幸福と安寧を願い、深い、暖かい、広い、母のような心境になります…
そして相手のサタンの身に長年張りついた、しつこい、重くてぬめっとした不快な邪気をこちらへ下さい、と頼むのです
サタンはちゅうちょしますが、この人なら信頼に足る、と日頃の彼女のお祓い活動を見て知っているので、ついに思いきって邪気を手放します
(本人が手放す決意をすると、はがれる)
そしてとたんに自分は軽くなり、昇天できるのです
この、邪気をかぶって普通の人ならしにそうな危険な状態が、彼女のトーマとの同一性です…
しかし、彼女は死なない
彼女は強靭で清らかな濃い幽体を持っているので、水が油をはじくように、たとえ邪気を頭からかぶっても、幽体の中にまで浸透することはありません
邪気を被ると大変重苦しく欲深い気分になり、不快でたまらず、耐えられないレベルですが、彼女は少し不快になるものの、耐え抜いて跳ね返す力があります

…この、翠さんが「自己犠牲による一時的、擬似的な死?」を経て、「無事清まり生還する様子」は、トーマがしんでも、入れ替わりにそっくりな転入生のエーリクが現れて、元気に生きる様子と重ねられます…
そして、長い時間をかけて、エーリクは同室のユーリの苦悩を理解し、なくなったトーマの気持ちにも賛同し、最後にはユーリを友人として心から大事に思い説得して、彼を目覚めさせ、救うのです……
トーマとエーリクと、両方の心が合わさって、救った感じですが、それはまさに、翠さんが擬似的な死の覚悟と、背中合わせの深い愛で、いつもサタンを救ってきたことと、似たものがあります…
(彼女は神様から自分の命を粗末にするな、たとえ他人のために自己犠牲をはらう時でも、肉体を危険にさらすほどのことは、決してしてはいけない、
自分と相手と両方を安全に保つ方法をとりなさいと、教え込まれていた)
だから、「トーマの心臓」では、性格はちがうが顔がそっくりな2人が、バトンタッチして居続けることが、(自己犠牲とよみがえりの象徴として)、翠さんにとっては学ぶのに必要な比喩だったのです…

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