祖先を訪ねて三千里

古代史考察など

倭人のルーツは東南アジア⁉︎

2023-03-17 06:00:00 | 古代史
桃の節句にはもうひとつ
女性的な意味がある。

以前妹が友達(中国からの留学生)の
結婚式に行った時のことだ。
桃の饅頭?入れ物?のようなものが
出された。マトリョーシカのように
桃の中に桃が延々と入ってたそうだ。

もうお分かりだろう。

桃は女性の尻を彷彿させる形をしている。
つまり出産や生命の象徴なのだ!
結婚式で出された桃は
多産や子宝祈願的な意味なのだろう。

中国では桃は仙人の食べ物だ。
そして中国をはじめ東アジアでは
自然崇拝と並行して
祖霊崇拝が盛んである。
祖霊崇拝とは言い換えると
生命崇拝とも言える。

性崇拝がわかりやすい例だろう。
生命をもたらしてくれるもの、
男根や女陰は神様だし、
生命を生み出してくれた
祖霊も神様だ。

ちなみに仏教やキリスト教は
これと全く違って
生命を超えた宇宙の法則や
創造主であり絶対者の唯一神を
崇拝する宗教である。

繰り返すがかつて東南アジアは
母系社会でなおかつ女権社会であった。
(南太平洋の島々には双系制も多い。)

東南アジアが何故、
古代日本と関係が深いのか?

東南アジアと日本の関係について
述べる前にまず中国と東南アジアの
関係について整理しておきたい。

中国中南部の揚子江流域の人たち、
春秋戦国時代で言うと
呉や越や楚の人たち。
この人たちは百越と呼ばれ
漢民族からすると
東南アジア系の異民族だった。

彼らは実は東南アジアから
中国に移動し中国に稲作を
もたらした集団の末裔だったのだ。

ちなみに中国の歴史上の皇帝の中で、
れっきとした漢民族出身の皇帝は
漢・宋・明ぐらいで、
その他のほとんどは異民族出身である。

中国語でベトナムは越南。
つまり越はベトナム系民族の国だった。
(ちなみに私は呉はカンボジア系民族の
国だったのではないかと考えている)

呉や越や楚にはある程度
共通する文化がある。
龍神(あるいは蛇)を信仰し、
男子は入れ墨を入れ、短髪。
高床式住居にしめ縄。

(ちなみに東南アジアは
現在でも刺青が盛んt
刺青は悪い習俗では全くなく
仏典の経文や魔除けの刺青を
入れる僧侶もいる。)

もうお分かりだろう。
倭人の特徴と一致している。

東南アジアから中国中南部の
揚子江流域にやってきて
稲作をもたらした人たちが
その後、日本に渡ってきたのである。
弥生人として。

特に呉や越が滅ぼされた時には
大量の難民が移民として
やってき来ているはずだ。

日本人の遺伝子で1番多いのが
ハプログループDだ。
これは中国中南部が起源で
要は日本に稲作をもたらした
弥生人のDNAであり、
日本人の4割弱はこの遺伝子を持つ。
もちろん日本人のハプログループ
としては1番多いグループである。

日本人のルーツの一つだ。

出雲大社本殿(国宝)

出雲大社本殿(国宝)
別アングル

タイの伝統的高床式住居




女よ、稲を取り戻せ!

2023-03-16 06:00:00 | 古代史
私は現代の日本のフェミニスト達に
こう申したい

 海や山を女性にも解禁しろ!
 (規制緩和しろ!)

という路線ではなく、
むしろこう主張すべきだ。

 女よ、稲を取り戻せ!
 男を田んぼから追い出せ!

機織り(衣類販売や紡績工場)も
祭祀も農業も女性が独占すれば
良いのではないだろうか。

衣類販売や紡績工場は
学生バイトから経営者、株主、
オーナーまで全部女性限定。
農家はもちろん農協も女性職員のみ。
農水省職員のうち
農政に関わる職員も全部女性。
農業高校は女子校に、
大学の農学部も林学科以外は
女性限定にすべきだ。

女性にしかやれない
分野や仕事があるというのは
女性にとってもすごく
心強いのではないかと思う。

ただ、農業にしろ
衣類の製造販売にしろ
紡績にしろ、食っていくには
大変そうなのがネックだ。
日本の農業政策はダメダメだから
まずはそこの立て直しからか。

それにこれは
むしろ伝統主義者や
保守主義者にこそ
考えて欲しい問題だ。

山や海に関する祭事に
女性が参加できないのは
女性が穢れているからではない。
山や海が男性の領域だからだ。

(女性が穢れているとか
劣っていると言った思想は
中国やインドから入ってきた。)

だから問題の本質は
単に山や海に関する祭事に
女性が参加できないことではない。

本来女性の領域だった
農耕や祭祀や養蚕、
機織りに対する
性別規制が撤廃され、
男性が自由に女性の領域に
入れるようになったのに対し、
男性の領域には女性は入れない、
という不公平が問題の本質なのだ。

伝統を守りたいのなら
男性は女性の伝統的な領域、
農耕祭祀や農業、田畑、養蚕、
衣類の製造、販売から撤退し
それらを女性の手に返すことだ。

もしくは逆に規制を撤廃し
男性の領域の祭祀にも
女性の領域の祭祀にも
性別関係なく
参加できるようにすべきだ。

根本的な解決策は
この二択しかない。
このふたつのどちらかでないと
筋が通らないからだ。



以下余談

3月8日の国際女性デーの日に
イタリアでは男性が母親や妻、
会社の同僚に感謝の意を込めて
ミモザを送る習慣がある。

日本でも女性解放の象徴として
ミモザが使われたりするのだが
日本ではミモザの木や花は
それほど一般的ではない。
たまに庭木などで
植えてあるのを見る程度だ。

他の地域の女性解放運動を
リスペクトする気持ちは大切だが
ミモザまで猿真似しなくても
良いのではないだろうか?

日本や東南アジアで
女性が象徴とすべきものは
むしろ稲や蚕や機織り機だろう。

ミモザではなく稲穂を女性解放の
シンボルにしてはどうだろうか?

古代の独占禁止法

2023-03-15 06:00:00 | 古代史
何故、古代の東南アジアでは
女性が権力を握ったのだろうか?
おそらくそれは稲作に起因する。

東南アジアの国々では
農業は女性の仕事だった。
男性は漁や交易に従事する。
女性は漁や交易には携われないし
男性も農業には携われない。

国や地域、民族によっては
今でも農業は女性しか
従事することが出来ず
男性は田畑に入ることすら
許されないところもある。

実は現代の日本にも
その名残が受け継がれている。
農耕儀礼における「早乙女」だ。

早乙女とはその年の最初に
田植えする時に
実際に田に入って
田植えをする女性のことだ。

早乙女は女性しかなれない。
この農耕儀礼を済ませないと
男性は田植えをすることが出来ない。

古代稲作は女性の仕事だったのだ。
(祭祀と機織り、養蚕も女性の仕事)
その名残りだろう。

だが現代日本人の感覚からすると
こう思うかもしれない。

 農耕も漁も交易も機織り祭祀も
 やりたい人がやりゃあいいじゃん

あるいはフェミニストからも
「性別による職業制限は撤廃すべき」
と言われる可能性がある。

だが私はこの分業制に注目している。
おそらく性別による職業制限は
現代で言う独占禁止法に近いからだ。

例えば農業も漁業も
機織も祭祀も得意で
一手に引き受けることが可能な
大変優秀な人がいるとする。
その優秀な人が全ての分野を
独占してしまうと
他の人は生業を奪われ
生活していけなくなってしまう。

少数の超人的天は冨み栄え
生き延びることができるが
他の大多数の人々は貧苦に喘ぎ
最悪の場合は死んでしまう。

古代の人たちは
そのような社会は望まなかった。

集団安全保障という考え方があるが
農耕社会というのは集団生活保障だ。
農耕は狩猟と違い1人では出来ない。
(機械化が進む以前はそうだった。)

そもそも農耕に限らず
人間は1人では生きていけない。
狩猟民だって交易が必要だ。
(例えば岩塩がない地域では
交易で塩を入手する必要がある)

戦後だってしばらくは
稲刈りや田植えは
村人総出の行事だった。
農村の小学校や中学校には
田植えや稲刈りの時期には
田植え休みや稲刈り休みがあった。

ところで
古代社会は、特に東南アジアや
南太平洋の島々は分治制が強い。

分治制にはもちろん権力の独占、
独裁制を防ぐ意味があるだろう。
実は日本の神話からも古代の
分治制が読み取れる

 アマテラス(農耕、機織り、養蚕、祭祀)
 ツクヨミ(国防、軍事)
 スサノオ(漁、交易、海運)

現代日本の

 立法(国会)
 行政(内閣)
 司法(裁判所)

という三権分立ではないが、
古代にも

 農耕/機織/祭祀 (女性)
 軍事/国防    (男性)
 漁/交易/海運  (男性)

という三権分治があったのだ。

ちなみに沖ノ島や沖ノ島の祭祀が
女人禁制なのは、海の民、
つまり漁や交易や海運を担う
男性の祭祀だからだ。

山の神の祭祀が女人禁制なのも
山の民すなわちマタギや
木こりなど男性の儀式だからだ。

山や海は男性の領域、
女性は平野が領域だった。
(稲作、機織り、養蚕、祭祀など)

現在でも沖縄では

 女は神人(かみんちゅ)
 男は海人(うみんちゅ)

と言って祭祀は女性が行う。
神官(祝女。ノロと呼ばれる)も
女性のみ。

ユタ(民間の巫女、シャーマン)には
若干男性も存在するが、
本来は女性がなるべきとされる。

東北のイタコも
視覚障害の女性しかなれなかった。

人智を超えた
目に見えない世界とつながる仕事は
女性だけが行うことができたのである。

東南アジアは母系で女権⁉︎

2023-03-14 06:00:00 | 古代史
東南アジアの
女権社会について話をする前に
母系社会と女権社会の違いについて
説明しておこう。

母系か父系かというのは
実は子供が
母親の親族集団に属するのか
父親の親族集団に属するのか
という違いでしかない。

古代日本は母系制だったのではないかと
言われてきたが、最近では双系制だった
可能性が指摘されている。

双系制に場合、子供は
父親と母親の両方の親族集団に属する。
また選系制と言って
所属する親族集団を選ぶ社会制度もある。

ただし母系制=女権社会ではない。
子供は母親の親族集団に属するが
社会的・政治的権力は男性が持つ、
というパターンももちろんある。
モンゴルなど狩猟や遊牧系の社会は
このパターンが多い。

さてカンボジアの建国神話には
竜宮城に住む竜王の娘ニァックが
登場するが、実はこのニャックは
1世紀頃に成立した扶南王朝の
初代リゥイー女王だとされている。

リゥイー女王はインドから進軍してきた
フン・ティェンを打ち負かしたが、
海岸で次の戦闘の準備をしていた
フン・ティェンの勇敢さに惚れ
結婚を申し入れ、受け入れられた。

竜宮城に住む海神の娘…?
これはまさに
海幸彦山幸彦の説話にある
海神綿津見の娘、豊玉姫ではないか!

山幸彦は海神綿津見神の宮殿に行き
豊玉姫と出会い結ばれる。
二人の子供が神武の父、
ウガヤフキアエズであり、
ウガヤフキアエズの妻は
豊玉姫の妹、玉依姫である。

実は古代九州では卑弥呼以外にも
女性の首長が多く、
女性首長の古墳や伝承が
多く残っている。

女性を首長や王にしないと
民衆が納得せず上手く国を
治められなかったのかもしれない。
実際卑弥呼の死後、
男王が立ったが内乱になり
再び女王壹与をたてている。

次はカンボジアの隣国ベトナム。
紀元前のベトナムは
母系で女権社会だった。
だが紀元前111年よりベトナムは
約1000年に渡り
中国(当時は漢)に属するようになる。

中国文化が持ち込んできた
社会通念が儒教であり、
道教であり、父系社会だった。
(中国には色んな民族がいて
母系社会を築く民族もあるが
漢民族は父系で男権社会だった)

ベトナムでは中国人官吏の
横暴に耐えかねて独立運動が起きる。
その代表的なものが
チュン姉妹(徴姉妹)の反乱、
ハイバーチュンの反乱だ。

ベトナムの建国神話では
チュン姉妹は独立を勝ち取り
姉の方が王になる。

だが実際は後漢から派遣された
将軍馬援に敗れて非業の死を遂げた。

独立運動に立ち上がったのが
男性ではなく女性だったというのは
実に興味深い。
中国人官吏の横暴もあるが
そもそも母系で女権だった
古代ベトナム社会の女性たちは、
中国(漢)に強制された
父系社会に馴染めなかったのだろう。

ちなみにこのチュン姉妹、
ハイバーチュンの反乱を描いた
絵を見ると、チュン姉妹は
象に乗って戦っている。
馬ではなく象というのが
なんとも東南アジアらしい。

実はカンボジアやベトナムには
イソップ童話の「うさぎとかめ」に
よく似た説話が伝わっている。

ただし争うのは
「うさぎとかめ」ではなく
「男と女」だ。
(演歌のタイトルのようだ…)

城作りや山作りなどで
男性達と女性達が争う。
男性達がうさぎで女性達が亀、
男性達が油断して休んでいる間に
女性達が勝つというストーリーだ。

女性が権力を持つことの
正当性を示したり、
男性よりも女性の方が
優秀だということを
証明する説話だったり、
男性が女性に求婚することの
由来を説明する説話となっている。

ひな祭りは洗濯の節句⁉︎

2023-03-13 04:18:00 | 古代史
先日3月3日は雛祭りだった。
旧暦だと4月上旬で桃の開花の時期だが
明治以降は新暦で祝う地域が多く
桃は咲いていない。

雛祭りはもともと上巳の節句といって
中国では漢代から行われていた。
『後漢書』には

 官民皆な束流の水の上に潔し、
 洗濯祓除と曰う。
 宿き垢痰を去りて大潔を為すなり

と書いてあり(原文はもちろん漢文)、
水で禊をし、洗濯して厄祓いする習俗、
つまりは冬の間汚れた身体と衣類を洗う
衣替えの行事だった。

ちなみに端午の節句も元々は
体を洗う習俗だったと考えられている。
(菖蒲湯はそれに由来する)

冬の間の汚れを禊をして落とし
衣類を洗濯したり、
夏が本格化する前に
(菖蒲湯で)身体を洗うことで
皮膚病や伝染病を予防する意図が
あったと考えられている。

さて中国国内の少数民族、
ミャオ族、トゥチャ族、
リー族、チワン族は
旧暦の3月3日に盛大な活動を行う。

チワン族にとってこの日は
墓参りを兼ねたピクニックの日だ。
(ちなみに15日まで続く)

各家で五色の糯米飯を作り、
鶏肉などの料理とともに墓地へ持参する。
(私はこのm五色の糯米飯を
菱餅の原型ではないか?と考えている。)

墓前に料理を並べて焼香し、
雑草を刈り紙幡を挿す。
墓に向かって三回礼拝した後、
供物を下げて皆でその場で食べる。
各家では門の上方の横木と
家屋の周囲に楓の枝を挿す。
青年男女は対歌(歌垣)を行う。

歌垣(うたがき)とは、
特定の日時に若い男女が集まり、
相互に求愛の求愛を掛け合う
呪的信仰に立つ習俗だ。

現代では主に中国南部から
ベトナムを経て、インドシナ半島の
山岳地帯に分布している他、
フィリピンやインドネシアでも
類似の風習が見られる。
古代日本でも『万葉集』などから、
歌垣が存在感していたことが
うかがい知ることができる。

子供の遊び花一匁(はないちもんめ)は
歌詞の内容は人買いとの交渉の歌、
つまり人身売買の歌と見られているが
元々は歌垣だったのではないかと思う。
似たような歌垣の習俗が
東南アジアにもあるからだ。