ずっと気になり続けていたけど、その質問に妥当な回答が見つかった。
もしかしておいらとカンちゃんは似ているのではないか。または似ているのではないかと思われているのではないか。
きっとこれは可能性の高いことでした。横には逸れたけど今もなお後方で背中を預けてるカンちゃん。これを感じるくらいだから同じに近いと思った居たけど、それを分ける言葉をずっと探していた。
『混ざり加減は同じでも構成要素が異なっている』から善と悪、明と暗に分けてしまうことが出来る。善と悪なら善。明と暗なら暗がおいら。本当に対局だったんだね。
でも、おいらには溺れる前に陸の上で浮き輪を渡されたり、そもそも溺れるから泳ぐことを言い渡す器用な大人はいなかった。なぜ泳いではいけないか。それは溺れる危険性が高いから何もさせない。何不自由ない暮らし。親に無心する母の憐れな姿と子のために必死で働く母親。
全部持っていたのはカンちゃんの方で満たされているのもカンちゃんの方で、何も持っていないのがおいらで満たされないのがおいらでした。
それこそ名家でも旧家でも名士でも町の実力者でもないおいらの周り。我慢すること覚えました。大きな器でも小さくキレイに盛り付けすれば素敵になること知りました。お皿いっぱいに盛り付けることに憧れたりしながら生きてました。隣の芝生はいつだって青々していました。妬み根性もありました。人を憎んで蔑んだこともあります。困っていたら手を差し伸べてくれるような強い人にも出会いませんでした。
けど、いっぱい人様から学びました。誠心誠意を尽くせば相手にも伝わることを知りました。代われない痛みが苦しいことも知りました。恩義もいっぱい貰いました。
あのまま本当に堕ちていたら、今死んでると思います。
受けた恩義はもはや返せない。素性をしらない人からの優しい応援もありました。一期一会をすごく大切に思いますよ。必要なものがそこしか買えないから来るんじゃなくて笑顔を見つけて貰えるように・・・。確かにおいらはおいらの思うところに手が届きませんでしたが、本当に悔いはありません。
だって与えらた道じゃなくて、道なき道を少しは歩きましたからね。
おいらは泳ぐことを止めません。陸の上から浮き輪を持って辛抱強く付き添って見守ってやればいいし、そもそも泳ぐことを教えないで、心配ばかりもしませんよ。
そういう安心感の中で育ちませんでした。お金がないから惨めな思いをたくさんしました。あなたは安定した暮らしの中で、我がまま放題に育ち他人に受けた恩義までも一族のために使いました。
水商売には恩流しという考えがあります。受けた恩義は必ず誰かに返さないといけない。だから今受ける恩義に甘えてもいいんだよ、と。
カンちゃんからしたらおいらは下賤で下世話な人間でしょうが、それは見せたくなかったから隠しました。おいらが返せる恩があるとしたら赤字店舗の閉店だけ。甘えることも辞めました。会社の変なルールブックに悪い例として残りたくはなかったです。潔く去ったのはそういう事情もあったからです。そういう自分を気づかせたくなった。変な押し付けは仇になります。
一人一人のお客さんから貰うお金で米食っていました。だから全部が全部を飲み込んじゃいけません。袖触れ合うも他生の縁とはそういう事だと理解してます。
返せなくなった恩義は貯めずに他の人に返しました。ある人は去り、またある人は情けは人のためにならんですと必死に嘘をつきましたけど、でもおいらは返しましたよ。まだ不十分ですけど、これからも返すつもりです。
明るい日向に出来た濃い影がカンちゃんだとしたら、おいらは暗闇の中の黒い光です。宇宙空間に隙間なくある暗黒物質と呼ばれるダークマターみたいに人類や宇宙を明るくする黒い光であり続けようと思います。出来たら暗闇を貫く一筋の閃光になりたいですけれど、どうも与えられたものは普通みたいです。
明るい日向にいるんなら優しい木陰になればいいんですよ。日影がいつもジメジメして嫌な場所ではないのだから。
だから、カンちゃんとおいらは全然違います。似て非なるところも何も似ていません。たぶん互いに自信がない点は認めますが、それならば似てる人はたくさんいるから邪な呪う神主であるあなたに共通項を求めることくらい類似点探しもあったもんじゃない。
あなたはおいらを呪う前に神様全部を呪えばいいし、直接動いた関係各位を憎めばいい。だって数人は祈願を紹介したけれど数にしてみれば偶然と思うほど接近もしていなかったしね。おいらひとりの言い分で見抜いてくれた宮司さんがまたまた二名ほどいただけです。
本当に困っていた時に、本当に運命の方から手を差し伸べて貰えました。
あなたもそういう人らに出会い、守られてきて今日があるはずなのに、なぜに傲慢でいい気になってカン違いをし続けるのですか?
浮き輪を渡した大人が悪い。泳ぐことを禁じた誰かが悪い。でもその隙をついて川に海に飛び込んでいたら、違う風景が見えたかもしれないですよ。
そんなあなたの穢れが祝詞では祓われるはずはない。あなたが霊だと怯えるものはあなたが放った返しの残滓です。自分の穢れすら気づけないのであればもはや神職でも神に仕えるものではありませんよ。
隣のおばさんは家族を思うがゆえに他家を呪いました。それも今なら分かる。
ばあちゃんが父を偏愛しました。それも分かる。
危険を冒させなかった大人の一方的なやり方にあがらって憎んだことも、分かる。
分からないのはその先なんだ。
どうして恩をかけてくれた人を憎むのか、どうして情をかけられたことに怯えるのか・・・・・・・。それだけは理解できるようで、わかりたくもない。
これが線だ。
おいらはただ明るい場所の陰に憧れた、黒い光。その光は誰に見えず、誰の心の闇を照らすことはないけど、ただ温かいものだと知っていた。だから、
混ざり方は似ていたけど、構成要素が違っていた。
それを世の中では別物と言う。
すごーーーーーーーーく後ろに背中が後退した。
おいらは目に見えないけど世界を包む方でした。陰陽のどちらでもなく、その真ん中の光でもなく、その外側の円にある可視化できない未知の物質みたいなものでした。
陰陽の陰がカンちゃんで、陽は社会正義ですかね。今回に限っては?
何もかも想定外で規格外でした。
神の道は歩けません。
魔の道も、邪な道も歩きません。
おいらは人の道を歩きます。
だからもう巻き込まないでね。それこそ今おいらに関わらせると大変な目に合いますよ。厄災の素ですからね。触媒なんですよ。ダークマターとは影響を与えるまだ見つかっていない素粒子の仲間。人間のそれぞれに内包されています。ていうか呼吸する度に吸い込んでいる。その密度が他の人に比べて多いんでしょう。何故だか結晶化しちゃってる(笑)
だから追い出したかった理由もちゃんとそこにはあったんですね。他人からみたら同じキャラクターの本物とコピー商品みたいだったかも・・・・・。それだけは嫌だな。嫌な人間が好きな仕事を嫌いになるくらいの芸当はお茶の子さいさいであります。
今度こそバイバイ。お達者で!!
偽物よ、さらば。
悪人になれないのならば良い人になろう。
もし良い人になれなくても正しくありたい。
悪よ、さらば。
もしかしておいらとカンちゃんは似ているのではないか。または似ているのではないかと思われているのではないか。
きっとこれは可能性の高いことでした。横には逸れたけど今もなお後方で背中を預けてるカンちゃん。これを感じるくらいだから同じに近いと思った居たけど、それを分ける言葉をずっと探していた。
『混ざり加減は同じでも構成要素が異なっている』から善と悪、明と暗に分けてしまうことが出来る。善と悪なら善。明と暗なら暗がおいら。本当に対局だったんだね。
でも、おいらには溺れる前に陸の上で浮き輪を渡されたり、そもそも溺れるから泳ぐことを言い渡す器用な大人はいなかった。なぜ泳いではいけないか。それは溺れる危険性が高いから何もさせない。何不自由ない暮らし。親に無心する母の憐れな姿と子のために必死で働く母親。
全部持っていたのはカンちゃんの方で満たされているのもカンちゃんの方で、何も持っていないのがおいらで満たされないのがおいらでした。
それこそ名家でも旧家でも名士でも町の実力者でもないおいらの周り。我慢すること覚えました。大きな器でも小さくキレイに盛り付けすれば素敵になること知りました。お皿いっぱいに盛り付けることに憧れたりしながら生きてました。隣の芝生はいつだって青々していました。妬み根性もありました。人を憎んで蔑んだこともあります。困っていたら手を差し伸べてくれるような強い人にも出会いませんでした。
けど、いっぱい人様から学びました。誠心誠意を尽くせば相手にも伝わることを知りました。代われない痛みが苦しいことも知りました。恩義もいっぱい貰いました。
あのまま本当に堕ちていたら、今死んでると思います。
受けた恩義はもはや返せない。素性をしらない人からの優しい応援もありました。一期一会をすごく大切に思いますよ。必要なものがそこしか買えないから来るんじゃなくて笑顔を見つけて貰えるように・・・。確かにおいらはおいらの思うところに手が届きませんでしたが、本当に悔いはありません。
だって与えらた道じゃなくて、道なき道を少しは歩きましたからね。
おいらは泳ぐことを止めません。陸の上から浮き輪を持って辛抱強く付き添って見守ってやればいいし、そもそも泳ぐことを教えないで、心配ばかりもしませんよ。
そういう安心感の中で育ちませんでした。お金がないから惨めな思いをたくさんしました。あなたは安定した暮らしの中で、我がまま放題に育ち他人に受けた恩義までも一族のために使いました。
水商売には恩流しという考えがあります。受けた恩義は必ず誰かに返さないといけない。だから今受ける恩義に甘えてもいいんだよ、と。
カンちゃんからしたらおいらは下賤で下世話な人間でしょうが、それは見せたくなかったから隠しました。おいらが返せる恩があるとしたら赤字店舗の閉店だけ。甘えることも辞めました。会社の変なルールブックに悪い例として残りたくはなかったです。潔く去ったのはそういう事情もあったからです。そういう自分を気づかせたくなった。変な押し付けは仇になります。
一人一人のお客さんから貰うお金で米食っていました。だから全部が全部を飲み込んじゃいけません。袖触れ合うも他生の縁とはそういう事だと理解してます。
返せなくなった恩義は貯めずに他の人に返しました。ある人は去り、またある人は情けは人のためにならんですと必死に嘘をつきましたけど、でもおいらは返しましたよ。まだ不十分ですけど、これからも返すつもりです。
明るい日向に出来た濃い影がカンちゃんだとしたら、おいらは暗闇の中の黒い光です。宇宙空間に隙間なくある暗黒物質と呼ばれるダークマターみたいに人類や宇宙を明るくする黒い光であり続けようと思います。出来たら暗闇を貫く一筋の閃光になりたいですけれど、どうも与えられたものは普通みたいです。
明るい日向にいるんなら優しい木陰になればいいんですよ。日影がいつもジメジメして嫌な場所ではないのだから。
だから、カンちゃんとおいらは全然違います。似て非なるところも何も似ていません。たぶん互いに自信がない点は認めますが、それならば似てる人はたくさんいるから邪な呪う神主であるあなたに共通項を求めることくらい類似点探しもあったもんじゃない。
あなたはおいらを呪う前に神様全部を呪えばいいし、直接動いた関係各位を憎めばいい。だって数人は祈願を紹介したけれど数にしてみれば偶然と思うほど接近もしていなかったしね。おいらひとりの言い分で見抜いてくれた宮司さんがまたまた二名ほどいただけです。
本当に困っていた時に、本当に運命の方から手を差し伸べて貰えました。
あなたもそういう人らに出会い、守られてきて今日があるはずなのに、なぜに傲慢でいい気になってカン違いをし続けるのですか?
浮き輪を渡した大人が悪い。泳ぐことを禁じた誰かが悪い。でもその隙をついて川に海に飛び込んでいたら、違う風景が見えたかもしれないですよ。
そんなあなたの穢れが祝詞では祓われるはずはない。あなたが霊だと怯えるものはあなたが放った返しの残滓です。自分の穢れすら気づけないのであればもはや神職でも神に仕えるものではありませんよ。
隣のおばさんは家族を思うがゆえに他家を呪いました。それも今なら分かる。
ばあちゃんが父を偏愛しました。それも分かる。
危険を冒させなかった大人の一方的なやり方にあがらって憎んだことも、分かる。
分からないのはその先なんだ。
どうして恩をかけてくれた人を憎むのか、どうして情をかけられたことに怯えるのか・・・・・・・。それだけは理解できるようで、わかりたくもない。
これが線だ。
おいらはただ明るい場所の陰に憧れた、黒い光。その光は誰に見えず、誰の心の闇を照らすことはないけど、ただ温かいものだと知っていた。だから、
混ざり方は似ていたけど、構成要素が違っていた。
それを世の中では別物と言う。
すごーーーーーーーーく後ろに背中が後退した。
おいらは目に見えないけど世界を包む方でした。陰陽のどちらでもなく、その真ん中の光でもなく、その外側の円にある可視化できない未知の物質みたいなものでした。
陰陽の陰がカンちゃんで、陽は社会正義ですかね。今回に限っては?
何もかも想定外で規格外でした。
神の道は歩けません。
魔の道も、邪な道も歩きません。
おいらは人の道を歩きます。
だからもう巻き込まないでね。それこそ今おいらに関わらせると大変な目に合いますよ。厄災の素ですからね。触媒なんですよ。ダークマターとは影響を与えるまだ見つかっていない素粒子の仲間。人間のそれぞれに内包されています。ていうか呼吸する度に吸い込んでいる。その密度が他の人に比べて多いんでしょう。何故だか結晶化しちゃってる(笑)
だから追い出したかった理由もちゃんとそこにはあったんですね。他人からみたら同じキャラクターの本物とコピー商品みたいだったかも・・・・・。それだけは嫌だな。嫌な人間が好きな仕事を嫌いになるくらいの芸当はお茶の子さいさいであります。
今度こそバイバイ。お達者で!!
偽物よ、さらば。
悪人になれないのならば良い人になろう。
もし良い人になれなくても正しくありたい。
悪よ、さらば。
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