先日の検査結果が出るというので両親に付き添って病院に行く。
・・・なんとただの定期健診。外科的には異常なし、癌の所見もなし。
腎臓の件は消化器科の案件だから、別に付き添っていく必要はなかった・・・。
外科の次の検診は半年後。・・経過治療。
あと片手分数値が下がれば透析。
それはまあ事実であるが、腎臓が悪くなった原因、血圧が高い原因、相互で関係するし、また別の問題かもしれない。はっきりしていない。
ただ数値が下がれば透析になるだけ。
そして透析になるまでに寿命が来て亡くなるか(腎不全)、透析をして亡くなるかのどちらかではあるが、完治することはないんだよね。
今は減塩料理で、とりあえず数値が下がらないようにしてるんだけど・・・。
今も1日五食を忘れられない。
ルーチンになってるから。
10時と15時には必ずおやつを取ろうとする・・・。
まあ予定外の行動が出来ないんで、先に風呂に入らないと飯を食わないとか、そういう人なのだ。
言われたことを必死に守るだけで、ぜんぜん遊びがないんだよね。
「おやつは絶対に食べなきゃいけないわけじゃないんよ」と母が言うと、
「ごはんがあれだけだぇ、腹が減るわ」と父がブチ切れる。
嫌なんだよね、腹が減ったとか会話が粗雑なのは・・・。
飯食って、テレビ観て、飯食って、テレビ観て、飯食って・・・・おいおいそれが仕事じゃねえぞ。
病人なんだから、かいがいしく世話されて当然みたいな顔されてもね。
好きじゃない人だから、面倒くさいしイラつく。
先週の話では、腎臓に癌が転移してる可能性もあると訊いていたので、肩透かし。癌でもないし、腎臓の周りに溜まったのう胞内の水を抜くわけでもない・・・。
あああ、余命切られて癌告知だと思っていたのに・・・。
もう好きにさせることにした。まあ飯は当分減塩だけど、行きたいところがあれば行けばいいし、行動を制限するのは辞めた・・・。
この男は他人様に迷惑をかけることを当然くらいに思ってる。病人は偉いんだって思ってる。
たぶんキツネ祖母ちゃんを見てて、病気で塞いでる人は人から優しくされたり、世話をされたりするものだと思い込んだのだろう。健康な者はほっておかれたんだろう。
だからやたら病気になりたがる。
腎臓だって、本人が腎臓が悪い、腎臓が悪いと言い始めた去年の今ごろから数値が下がり始めた。自分でなりたくてなった病気なのだ。だから自業自得。
おいらたちに出来るのは透析に至るまでの時間稼ぎ。遅かれ早かれ、父の腎臓はそのうち機能が停止して必ず透析が必要になる。それまでに死ぬのか、透析しながらゆっくりと死ぬのか。
時間稼ぎしか出来ない。
もう根治しないんだから悲。
ただ本人は「死ぬ」ということが動物並みに分からないことなので、どうしていいか分からない。
もう思い残すことがないように、友人に会いに行ったり、自分の持ち物を処分したり、そういう終活を始めるものなんだけど、命の限りをまったく想像できないから、毎日同じルーチンを繰り返す。
ただ繰り返す。
だから我が家は完全に時間が止まってる。
この人の本能が我が家の時間を歪ませてるんだと思う。
先に進まないんだよね、身体の中の時限爆弾のカウントは止まらないけど、たぶん死なないと思えば死なないんじゃないかくらいにしかないんだ。
人は病気になったら死ぬ。
老いたら死ぬという定義を自分に押し当てない。
まあ今まで病気(死ぬような病は一切ない)になっても死ななかったからってくらいに反応が軽い。
やっと本人が望むような深刻な状態になったのにね。
まあとりあえずは死なないんだ。
その間に風邪を引いたり熱が出て死んでも、それはまたまた偶然の産物なのだろう。たぶんしぶといから死なないとは思う。
だけどもう我が家の時間は止めない。
動かさなきゃ。
ゆっくりでも今日と違う明日へ、
明日より違う明後日へ、
人は動かないといけない。
父の原理原則を否定することでどうなるか分からないけど、もう父のルーチンやルールは破る。実行させない。
予測しないこと、予想だにしないことが起きないとおそらく奇跡は起こらない。
霊験も然り。
予定調和の中にいることは安全だけど、予定調和ではゆるやかに死ぬだけで、楽しく生きて死ぬることにはならないんだ。
愉しい方がいい。
笑ってる方がいい。
きっと。
・・・なんとただの定期健診。外科的には異常なし、癌の所見もなし。
腎臓の件は消化器科の案件だから、別に付き添っていく必要はなかった・・・。
外科の次の検診は半年後。・・経過治療。
あと片手分数値が下がれば透析。
それはまあ事実であるが、腎臓が悪くなった原因、血圧が高い原因、相互で関係するし、また別の問題かもしれない。はっきりしていない。
ただ数値が下がれば透析になるだけ。
そして透析になるまでに寿命が来て亡くなるか(腎不全)、透析をして亡くなるかのどちらかではあるが、完治することはないんだよね。
今は減塩料理で、とりあえず数値が下がらないようにしてるんだけど・・・。
今も1日五食を忘れられない。
ルーチンになってるから。
10時と15時には必ずおやつを取ろうとする・・・。
まあ予定外の行動が出来ないんで、先に風呂に入らないと飯を食わないとか、そういう人なのだ。
言われたことを必死に守るだけで、ぜんぜん遊びがないんだよね。
「おやつは絶対に食べなきゃいけないわけじゃないんよ」と母が言うと、
「ごはんがあれだけだぇ、腹が減るわ」と父がブチ切れる。
嫌なんだよね、腹が減ったとか会話が粗雑なのは・・・。
飯食って、テレビ観て、飯食って、テレビ観て、飯食って・・・・おいおいそれが仕事じゃねえぞ。
病人なんだから、かいがいしく世話されて当然みたいな顔されてもね。
好きじゃない人だから、面倒くさいしイラつく。
先週の話では、腎臓に癌が転移してる可能性もあると訊いていたので、肩透かし。癌でもないし、腎臓の周りに溜まったのう胞内の水を抜くわけでもない・・・。
あああ、余命切られて癌告知だと思っていたのに・・・。
もう好きにさせることにした。まあ飯は当分減塩だけど、行きたいところがあれば行けばいいし、行動を制限するのは辞めた・・・。
この男は他人様に迷惑をかけることを当然くらいに思ってる。病人は偉いんだって思ってる。
たぶんキツネ祖母ちゃんを見てて、病気で塞いでる人は人から優しくされたり、世話をされたりするものだと思い込んだのだろう。健康な者はほっておかれたんだろう。
だからやたら病気になりたがる。
腎臓だって、本人が腎臓が悪い、腎臓が悪いと言い始めた去年の今ごろから数値が下がり始めた。自分でなりたくてなった病気なのだ。だから自業自得。
おいらたちに出来るのは透析に至るまでの時間稼ぎ。遅かれ早かれ、父の腎臓はそのうち機能が停止して必ず透析が必要になる。それまでに死ぬのか、透析しながらゆっくりと死ぬのか。
時間稼ぎしか出来ない。
もう根治しないんだから悲。
ただ本人は「死ぬ」ということが動物並みに分からないことなので、どうしていいか分からない。
もう思い残すことがないように、友人に会いに行ったり、自分の持ち物を処分したり、そういう終活を始めるものなんだけど、命の限りをまったく想像できないから、毎日同じルーチンを繰り返す。
ただ繰り返す。
だから我が家は完全に時間が止まってる。
この人の本能が我が家の時間を歪ませてるんだと思う。
先に進まないんだよね、身体の中の時限爆弾のカウントは止まらないけど、たぶん死なないと思えば死なないんじゃないかくらいにしかないんだ。
人は病気になったら死ぬ。
老いたら死ぬという定義を自分に押し当てない。
まあ今まで病気(死ぬような病は一切ない)になっても死ななかったからってくらいに反応が軽い。
やっと本人が望むような深刻な状態になったのにね。
まあとりあえずは死なないんだ。
その間に風邪を引いたり熱が出て死んでも、それはまたまた偶然の産物なのだろう。たぶんしぶといから死なないとは思う。
だけどもう我が家の時間は止めない。
動かさなきゃ。
ゆっくりでも今日と違う明日へ、
明日より違う明後日へ、
人は動かないといけない。
父の原理原則を否定することでどうなるか分からないけど、もう父のルーチンやルールは破る。実行させない。
予測しないこと、予想だにしないことが起きないとおそらく奇跡は起こらない。
霊験も然り。
予定調和の中にいることは安全だけど、予定調和ではゆるやかに死ぬだけで、楽しく生きて死ぬることにはならないんだ。
愉しい方がいい。
笑ってる方がいい。
きっと。
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