空に問う。

空に問うても果てがない

裏切りの代償

2015-10-20 08:21:59 | 日記
神田うの事件と呼んでいいかは分からないけど、ベビーシッターの盗難事件。盗んだものを返したら、相当な金額を返したら、それで済む問題でもないのか。だから精神的苦痛を求める心は減刑が許せなかったり、さらに慰謝料が欲しくなる。神田うのが慰謝料を欲しがったかどうかは分からないけど、うら義理の代償として何が妥当なんだろう?

許せないのはそういう相手を信じた自分なんじゃんないかな?自分を許すことは他人を許すことよりも難しい。

一変の曇りもなく、汚れのない心。そんなものは普通に生きて至らない。運転してる時なんて知らずに進路を塞いでしまうこともある。そんな小さなことを言いだしたらそれこそキリがないけど。

許すことは出来ると思う。でも相手の幸せをそれこそ文字通りに祈るなんて出来るんですかね。

ここはオカルトサイトだから生き霊の話をしますけど、生き霊のカンタンなハズした方は相手の幸福をただただ祈ること。相手がわかっているときだけ有効なんですけど、疑わしい場合も幸福を祈念する言葉であればいいそうです。ありがとうとか、生きていてありがとうとか・・・・・・。

言えるか、そんなの。

生き霊の理屈は複雑で、相手が生きてるから何度も何度も憑りつき、お祓いなんて無駄です。と、よく説明されている。死霊は死んでる人の霊だから祓うことが容易い。

憎み続けること。人間は案外下手。レアケースだけど祝いのプレゼントの植木鉢の中に「五寸釘」がいっぱいなんてわかりやすいことがあれば、相手を無視することも出来るし、文句を言うことも出来る。

でもだいたい心当たりがあるという不思議な共通点もあったりしてね。少なからず恨まれる方も恨まれる相手を知ってたりする。身に覚えのある恨みってあると思います。もしも相手を傷つけていたなら謝ろう。ちゃんと相手に。自分の中の疚しさがただの想いをワンランクアップさせることもあると思う。

でも有り余る憎しみを受けて精神的にも肉体的にも傷ついたら、そうだなぁ。まずは恨むべし、憎むべし。相手と同じ土俵に立ってみよう。蔑んでみよう。するとどうだろう。きっとバカバカしくなる。それは相手を許したことにならないけど、あらあら不思議。相手への憎しみが消えている。憎めば憎むほど人は相手に似てしまう。それに普通はたいがい気づく。気づかないと、そのまんま相手と同じ精神疑獄に落ちるけど、ネットみて普通するべきではない呪詛返しをしてみたり。しかしかなりの本気度を試されることになる。だから面倒くさくてやる気を失くす。だから気にしない方を選ぶ。

でも自分だけが対象の時はそれでいい。なんだか人が離れていったり友人知人家族に偶発的で連続的な不幸が続いたりすることがある。大切な人への代われない痛みの苦しさを知っている多くの人は本気で相手を憎むかもしれない。精神的孤立感。それが相手を憎もうとする理由だったな。

まあだいたいは本格的な呪詛なんてやっても効果ない。やる方は表の世界で暗躍してあることないこと風潮してあなたの信用度をかなり下げていたりする。呪文を唱えたりする一見本格的なモノよりも、そういう信用を落とすような方が根が深い。だいたいが逆恨みケースだ。

あなたが本気で悪いことをしていたら警察に行けばいいし、上司に相談するだろう。そしたら捕まるし、叱責される。普通はせいせいして終わりだ。けれど「あなたの悪口を言うのを訊いた」「人から訊いたんだけど〇〇ってあんな風だけどね、実際は・・・・・」などあなたの仮想敵を作り出し、自分の味方を増やすことに一心不乱に精を出す。まあこちらが『名誉棄損で訴えますよ』と言えばうろたえて終わりか。呪詛サイドに走る。まあこの時点から呪われるのは先に掛けた方でしょうね。お天道様が見てるって言うのは案外的を得てる。神様ってここぞって言う人間に時間やピンポイント攻撃は苦手みたいだけど、言葉通り上じゃあなくて、やり取り自体を知っていたりする。

確かにでもそれなら「なんで・・・・・」という不幸なケースのあるだろう。おいらが言うのは社会通念上の「神」の話で、宗教家が説明する神の事ではない(笑)。どっちが悪いか人は一方的な意見を信じないし、善意の第三者は絶対にいる。人の悪口ばかりを言う人自体が社会ではあまり信用度がない。まあいちばんズルいのは他人同士で闘わせること。AにBの悪口を訊いたと話し、BにもAに同じことを言う。この両者に信頼関係があれば、これは揺らぐ。仲が良ければ良いほど相手に訊けなくなるからだ。そう疑心が生まれて、心に鬼が生まれる・・・・。

まあこう言うのは特殊な環境下でないと難しいです。が、弁解の余地も与えれずに不運な目に合うパターンがおいらの体験したケース。相手がおいらをあまりよく思ってない人にエサを与えること。憎しみに火をつけてやる事。おいらの場合は上位ランカーを動かせばいいのだから、最低三人にすれば良かった。おいらを追い込む手口があまりにも汚かった(弁護士の支持ではないだろう。愚かすぎる)から、会社も元上司も悲惨な目にあっただろう。社会的な制裁を食らったはずだし、信用度は低下した。コレとアレとが違う話にはならなくなる。コレがこうなんだから、アレもそうなんだと判断される。おいらの場合は逆恨みの逆恨みが起こったわけだ。

でも考えてみるとおいらは全然悪くない。それが相手の弱みだと知っていたから脅かさなかった。もし脅かさないと言う清廉な理由が恨まれる理由を産むならばそれは個人の方が間違っているし、会社の認識がまあ狂っているわけだ。俗にいうブラック企業ではなかったけど、精神性ではかなりのブラック会社だった。創始者一族でもないし、ただの縁故が仕事をしないいいのは昭和時代まで・・・・。平成の世でそれが通ったらかなりの信用度が落ちるだろう。

ある案件でクレームが起こり奔走したのはおいらだった。相手も悪く言えないし庇う羽目になった。どうししたらおいらが訊いた悪口を、おいらがその人たちに言われたことになるんだろう。相手に文句があるならばおいらは相手に言います。別に相手の悪口を言わない方がいいんではないですかね。おいらがカンちゃんに対して腹立たしかったのは手順を踏んで祭式通りに呪う祭祀を執り行ったことではない。それはかなりへっぽこで相手を呪殺したり瞬殺する威力はまるでなかった。ただ精神的な苦痛を浴びせ続けた。まあそれも何とか我慢できた。おいらが腹立たしいのはやっぱり表の世界で知らない間に悪い噂を流れたこと。何度も何度も必死で繰り返せば、その必死さは相手に通ずる。いい加減な奴だと内心思っていても、もしや親切心ではと思う。おいらの悪口を言い続けることで、それを自らの信用にした点がいちばん許せなかった。

ああもっと早く自分の意思で辞めるんだったと長い間後悔した。相手が行動に移さなくても辞める腹積もりだった。いちばん現状を把握していたのは別に呪う方じゃない。呪われたおいらの方が何もかも把握していた。--この一族に関わるなーーその言葉を耳にタコが出来るくらいに反芻していた。ここまで近づいたら辞めよう。そう思いながらも迷いが生じていた。働く場所は違うし距離が離れていた・・・・・からだ。

まあ終わったことだから言うのだけれど、ほっておいても自主退社していましたよ。実はその日を何年も前から待っていたしね。ただこの場面で告げられるとは思わなかった。変な言い方だけど、今の時点(2015年10月前後)に果たされることであった。だから別に邪な神主の呪詛は完了も成就もしていない。だっておいらが先に思ったのだから、おいらの願いが遂げられたのだ。辞める条件も良かったから、こうして一年じっくりと考える時間も手に入れた。背中押したつもりが、押さされていたことに気づく日はあるんだろうか。おいらにすれば時期が早まっただけ。

最後に見たおいらをハメた人物はとてもバツが悪そうだった。何故ならば万年最下位の営業所がなくなれば今度は自分の営業所が最下位になるからだ。やり過ぎたと思ったんだろう。そりゃあそうだよ。やったことは返される。でもやったとされたことは実は何一つ完成もされていない。うつけもので愚か者・・・・。あなたの一族が〇〇憑きとかの噂があることをおいらは30年の前に知っていたのだから・・・・・。実はハメたのはおいらの方かもしれない。傷はずいぶん負ったけど、ノンリクスとはいきませんからね。負けて勝つ。今の方が理想的だ。

もう見込み数字は立たないし、2年前と同じ立場に逆戻り。今夏の増収があなたに由縁しないことは明らかに明白なんだよ。数字は2年前よりもぐ―――――ンとダウンするし、唯一の手札もそもそも論になるだろう。赤字店舗に逆戻りだ。今度の部下は今までみたいに黙っちゃいないぞ。アンタが欲したのは自分と似ている人間。と、言うことは簡単に他人を謗り、裏切り人間だ。突きあげられても実は権力はないし、頼みの綱である上司も上から抑え込まれてる・・・・・。もしかするとあなたの一族に呪われた人間どもの怨念がおいらに手を貸したのかもしれない。

屈託もない笑顔の持ち主であった数か月間のクラスメイトのその後は知らないけど、彼も一族にやられたと話しを訊いた。理由は「デキがいいから鼻もちならない」

それを訊いたときの腹立たしさを今も覚えてる。だから都合よく神道を除く除災の方法を考えた。それが遠回りの原因になった。神道には神道で、仏教には仏教で、すべてを無に帰すならばキリスト教でした(笑)。堕天使が元天使だったように、荒ぶる神は善神ではありません。あり得ないのです。それがそういう世界のカラクリです。世界中の騒乱の下敷きが宗教に沿って行われていることに日本人はピンと来ない。当たり前です。殺した相手に恨まれては嫌だから神として奉り自らを護らせる。そういう怨霊信仰は日本に土着した宗教のベースです。

おいらをキリスト教へ走らせなかったのもミッション系の幼稚園が自慢の母だし、神社を遠ざけたのは母の父だし・・・・。よく神社で遊んでいると怒られました。まあ神聖な場所だから騒いではいけないってことなんですね。だけど子供だから神社は怖い場所なんだと思った。そういう教育を受けていましたから、その高校時代のちょっとした友人の囁きが今も残ったいたわけです。20年に渡る時間をさる神社の神を祀ることに費やしたし、対カンちゃん戦争の準備を虎視眈々と自覚しないでやっていたのは、おいらの方でした。実はある時期に好きな作家が、風水師が、そして当時していた仕事が、その神社へおいらを導きました。本当に不思議なご縁です。

想像できますかね。

自分が内側に閉じ込められていて、発する言葉も自分の意思と違い、四肢の自由を奪われて、後輩を殴り倒してる自分。

憑依なんですかね。かすかに視界の隅で、ニンマリしてる弟君の顔見ました。何よりも怖かったですね。その異様な有様にクラスメートは怯えていたと言うのに・・・・・。操り人形みたいでした。イヤ~、他人が直接的に体を則って動かしてた気分ですかね。先生が来て止めに入ったときの異様な疲れを憶えてる。高3の秋。たぶん退学だったんでしょうが、担任がすごく頑張ってまた負い目があったのか体育教師も加わって生活指導の先生が先頭に立っておいらを一か月の停学で許してくれた。その後輩は可愛がっていた子で殴られてもおいらを庇ってくれたようだ。事情は説明できなかったけど、本当にごめんな痛かっただろう。でもおいらの心も痛かったよ。

まあ息子があんなんだから、親父はさらに卑怯で汚い人間だと思う。しかしそういうチャンスを向こうに与えたのはおいらにも責任があるからしょうがない。直接の原因である人は惨めな感じで離婚したと訊く。そう家族に与えた褒賞も、家族にも跳ね返る。家族仲が悪い宗教家がいたら信じない方がいいよ。それが現実です。

その後たぶんその親父さんは死ぬまでおいらに毎年呪詛を掛けたに違いない。それは年々薄れたけど、それはさる神社との出会いと比例して弱くなっていた。退学にならなかったことが不満だったんだろう。それからネチネチを鬱憤をはらい続けた。その結果弟君は家族を失くし不幸になった。今はローンの残ってる新居で一人暮らしだと言う。・・・・・まあ、でも、この弟に繋がる別建てのエピソードに向こうが気付いてるとも思えないが、もしかすると痴情の縺れが大参事を引き起こす可能性も残ってる。それは回避してほしいところだけどね。現在のおいらのネットワーク上に関わる人間がすでに四人もいるんだから具現化される可能性は高い。おいらはでもね、その発端となった件については今も反省しているんだよ。こうなったことに対する反省じゃななくて、傷つけたことに対する反省です。ーーーあの時は、ごめん。その後は陰ながら守ったんだけど素直に謝れば良かったな。

まあ、気づいたら禍根やら遺恨やらがゴロゴロしていた。まともじゃないです(笑)。出来るだけ正しく生きましょう。

恣意的な環境も、具現化になりやすい状況もユラユラとそこにあったのは痛感していた。空気を読み取るのは得意だから。人の不安が分かるから煽らないようにしてる。別の問題を定義して不安から目を逸らしてあげる。そういう話芸が少しだけ出来る。そうしないと幼いおいらは生きていけなかったから、それが生きる術になった。時々はきっと思い込みに違いないとわかっていても呪いにしてしまってまとめて始末するときもあった。霊能者でもないのに審神者でもないのに審判でもないのに、ましてや神職でもないのに・・・・・。だから裏の方から目をつけられて相応なしっぺ返しを食らった。

普通にあり得ないけど、前職の面接の日は二日酔いだった。まだ依存症の傾向が残っていて深酒したのをなんとなく覚えてる。だからスーパーのトイレで指突っ込んで吐いて、歯を何度も磨いて、顔洗って面接にはいくには行った。どうもこの時点でさる神社の神はおいらを近づけないようにしたらしい。おいらは神紋を見て更なるカン違いをしたのだけれど・・・・・。

で、酒臭い息のおいらは無事と言うか面接に受かる。

まあ、蓋を開けるとビックリ。結局はすでに持て余していた営業所を一時的に担保して、然るべきタイミングで切り捨てる予定のスケープゴードだった。それが悔しくて営業成績を上げてなんと16年間も持った。それはひとえに社長のお蔭だけど。頑張ってる人をちゃんと評価する人だった。まあ最後の方は恩人の敵にされていたけどね。頼ったときにはすでに何もかも遅かった。

この時間はおいらの誇りだ。だから他人に何度も同じ手口で踏み躙られる理由はない。あがわらずに真摯に受け止める。それだけでおいらの目的は達成された。途中に未練心と急に眼を覚ましたスタップの心変わりで納得できる時期に二人で辞めようと変な意気投合をしてあがらって見たら、容赦ないしっぺ返しを食らいました。最後の一週間は地獄でした。でもその時も救ってくれたのは営業所の氏神さんでしたね。

何もかもは守ってはくださらない。何も失くさないでことは運ばれないし、運ぶはずもない。人間にとっての最大の不幸や不運とは「死」だ。その「死」を取り除くために強制的な力を持って、それを遠ざけていただいた。今度は貰った命だから人助けに使いたい。それがサラリーマンと並行しては出来ないから今は悩んでいる。なんとなくハローワークの若い女性スタッフをおいらの辞める経緯で本気泣かせてしまったせいだ。申し訳なく思った彼女は電話してくれてある事業所をあっせんしてくれたけど何となく足が遠のいた。少しドラマチックに酔っていた自分が恥ずかしいのと、そういう悪意のある事業所を遠い昔にあっせんした自分の勤め先の不甲斐なさを思わせてしまったからだ。なんでか何度も謝られた。道義的責任を感じてくれる人の情け・・・・傷ついてるときのおいらには苦痛だった。16年間の間においらが社内で育てきれなかった事だから。例えばそれを神主のせいにしても始まらないことを知っていたのだから。自分のことを予見したらまず失敗する。流れに身を任せないとどうしようもない時がある。神様の成せる技とは時々悲しい事態も引き起こします。けど後で考えてみると、その方法や方向性でしか進んでいなかった現実を知ります。少しくらい疑っても怒るような存在じゃありませんよ。お礼は家の神棚でも出来ますしね。あるがままでいいと思います。

もしもあてにしてるものが与えられるとしたら、おいらはもう迷わずにそちらに進もうと思う。緩いけどそんな覚悟で十分だ。求めれば与えられる。これは聖書の言葉だけど、何にだって甘えて良かったんだと、本当の意味を知る。別に浄土宗で神道好きで密教の祖である弘法大師を尊敬して、クリスチャンには叱られるけど慈悲と野卑な人間イエスキリストが好きな自分でいて、いいんじゃないかと思った。だって起こったことは想定外でもあったし、想定内でもあったのに、上手くバランスが取れなかったのは一つに絞らないといけないのではないかと言う迷い心だった。常に頭の中で闘っていたのは神ではなくて神への恐れでした。しかし神とは人間の味方です。好きなものは好きでいいんではないでしょうか?ちょっとだけ本気度と温度に違いがあるので陰陽道やゾロアスターやイングランドの魔術は次点です。まだまだ勉強が足りません(笑)。

だから呪いに走りそうな友人知人家族がいたら必死で止めてください。無理だ無駄だと言う前に何度も止めてください。言葉や社会性や事の重大さよりも「必死さ」が伝わるだけでいい。それでも手を出して悔やんでいたらバカだねって慰めてやればいいんです。必死さは逆転させる力を持っていますから悪用は禁止ですよ。

・・・・昔大失恋をして、その結果酒に溺れて眠れなくなって、ただ酒が飲めるし話も出来るからって簡単な理由で水商売をして時期もある。決して思ったような楽な仕事ではなかったけど。そん時に何にも云わないけどそばにいてくれた友達がいた。

数年して大失恋の痛手も傷も言えたころに防波堤で風に消えそうな声で初めて言ってくれた。

「今思うと、そんなに悪い人生じゃなかつあろ。そんなに辛くなかったろ」って。

励ましの言葉にしたらとてもシンプルでありふれたものだったけど、なんだか嬉しくて瀬戸内海をバックに泣いた。

いつか誰かの言葉を借りて必要な時に必要な言葉がやってくる。届いたら泣いてください。んで、笑ってください。そのあと海風が冷たい秋の防波堤に座って、グリコのみぞれ菓子の今はなき南極アイスバーを食べました。岩国基地のそばで米兵に「hey gays・・・・・」とか機関銃を持ったまんま言われて帰りましたけど。ケンちゃんホントにありがとう。あなたがいたから今のおいらがいます。生かせてくれてありがとう・・・・・。

で、今朝は朝からチェーンソーの音がうるさい。先日も天女みたいないでたちの女性が数名で隣の空き地の奥に積み重なっていた去年勢いで伐採した数百本の枯れた竹を掃除していた夢を見た。親戚の前の岩盤も悪いけど空き地の奥のどんづまりにも大きな岩があって、そこが何だかこの数日気になり始めた。役場に相談して市の費用で竹の撤去をお願いし承諾されていたのですが、㋈初めと言いながらなかなか撤去されずにいる。それで昨日母に「役場に相談してみたら・・・・」って言った翌日に業者さんが来た。

ズバリに驚いた母は何も知らせずに家を飛び出した。怖いんだろうな息子が・・・・。でおいらも相当怖いぞ。この偶然ってね(笑)。

家にいない。業者さんに上げるために買い物に出かけたのだろうと思っていたけど違う。たぶん20日もある期限だったから、おじさんの家に線香上げに行ったんだと思う。それはね。もうウチが今日の日にすることではない。気持ちがあっても、気持ちがあるがゆえに日を改めてお参りしなければいけないこと。墓も建てられた事だしね。家族そろってが肝心要なのだ。本音はチェーンソーの音がうるさくて逃げ口実としておじさんの家に行ったのだろうが、それはね善行を積む行為と言うよりは侮辱しかねない行為なんだ。今日は日が日で毎日だから冥福も届きやすいけど後悔も疚しさも届きやすい日。もしそんな気持ちがあるのならいい気になっていけやしない。そこの家族にとって大切な日を護るのが今日の吉です。

ほっておいらたら、仏教的にも神道的にもキリスト教的そしてもはや世間一般に流通する迷信や慣習や、その他諸々に逆らって家運を下げる行為に走る。父の見舞いに行ったのならばまだいいが、帰ってきたらなにも問いたださずに聞き出そう。その善行は理を曲げることですよ。本日何事もなかったのはおじさんのお蔭ではない。父の生命力の強さに他ならないことをおいらは知っている。

近寄るべからず。

これにはちゃんと意味がある。でもつい一昨日話したんだあけどな。今回は線香をあげに行ってもダメだと。嬉しいのかもう辞めてのサインか分からないけどお返しがわらしべ長者並みに届くので実は気の毒なのだ。後ろめたい気持ちもあるし・・・・。あれは父を護りたい一心の親心が生んだ不幸だったから逆転すれば父に返しが行くのだ。知らず知らずに願う気持ちもまた呪詛になりえるのが我が家の家系で、それが血筋。

ああ、帰ってきたようだ(笑)。

相談してもこの結果・・・・・。


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