連休明けですが、今週は年明けで休みボケもあり、連休も妹達が来たりしていたので、疲れが取れず。
大分寒さが厳しくなってきたので、凄い辛い。
そんな中、色々な仕事が一段落ついたので、今日は自分の為にやりたかった仕事ノートの作成と免疫染色の抗体の反応をまとめたリスト作り。
そして、秋からほったらかしになっていた産休中の先生の仕事の方法の検討をする事に。
で、朝、メールの整理をしていたら、迷惑メールに技師免許を取った短大の先生から年賀メールが来ていました。
この先生は担任を3年間していただいた先生。
でも、あまり良い印象の先生ではありませんでしたが、ひょんなことからメールを教える事になり、それから暑中お見舞いと年賀メールをお送りしています。
いつものように短大の様子がかかれていたのですが、その中に衝撃の内容がありました。
3年時に担任をしていただき、臨地実習先の病院の担当でもあって、お世話になった先生が去る2日に急逝されたという事でした。
おそらく67歳くらい。
昨年度、定年退官されて、非常勤になってまだいらっしゃると聞いていました。
先生のメールによると昨年の1月体調を崩し、2月に膵がんが分かって、治療を続けていたらしいです。
抗がん剤治療中で、2剤試したけど、効果が芳しくなく、3剤目を模索中の12月下旬に容体が急変して今月の2日に亡くなったとの事でした。
本当に急だったそうです。
メールを下さった先生と亡くなられた先生は年齢は一回り位離れていると思うのですが、同時に学校に入ったという事でした。
『もし先生がいなかったら、一か月で多分辞めていた』
とも書いてありました。
メールをくださった先生も含めてですが、私の個人的な印象だと今まで通った学校で一番癖の強い先生の集団と思っているので、大変だったのかなと思います。
だから、同期である先生の存在は強いものがあったのかと感じました。
メールの文面から憔悴しきっている感じなので、心配です。
やっぱり膵がんって厳しいな。
昨年の6月に亡くした伯父も膵がんだったし、父方の祖母も膵がん。
後は中高の国語の先生も確か56歳とかで闘病一年弱で膵がんで急逝したし、大学の先生も一人膵がんで闘病一年くらいで55歳くらいで亡くなられた。
エコーでも膵臓って見るの難しいし、膵がんって見つかった時、大体手の施しようがないことが多いし。
難しいな。
でも、エコーをいつも授業で担当されていた先生、『すい臓は見づらい』と常に言っていた先生。
だからこそ先生には早期発見で何とかなって欲しかったなと思いました。
コロナなので、葬儀などはご家族で済まされたようでした。
コロナが落ち着いたらメールをくださった先生がちょっと心配なので、学校に一回行ってみようかなと思ってます。
先生、学生時代も卒業してからもお世話になりました。
一回、研究日でお休みの日に遊びに行った時に『今日来てて良かったわ。』と言って下さったのは忘れません。
ありがとうございました。
闘病生活は大変で辛かったと思います。
どうかゆっくり天国で休んでください。
そして、たくさんの教え子達の活躍を見守ってあげてください。
ご冥福をお祈りいたします。
さようなら。
大分寒さが厳しくなってきたので、凄い辛い。
そんな中、色々な仕事が一段落ついたので、今日は自分の為にやりたかった仕事ノートの作成と免疫染色の抗体の反応をまとめたリスト作り。
そして、秋からほったらかしになっていた産休中の先生の仕事の方法の検討をする事に。
で、朝、メールの整理をしていたら、迷惑メールに技師免許を取った短大の先生から年賀メールが来ていました。
この先生は担任を3年間していただいた先生。
でも、あまり良い印象の先生ではありませんでしたが、ひょんなことからメールを教える事になり、それから暑中お見舞いと年賀メールをお送りしています。
いつものように短大の様子がかかれていたのですが、その中に衝撃の内容がありました。
3年時に担任をしていただき、臨地実習先の病院の担当でもあって、お世話になった先生が去る2日に急逝されたという事でした。
おそらく67歳くらい。
昨年度、定年退官されて、非常勤になってまだいらっしゃると聞いていました。
先生のメールによると昨年の1月体調を崩し、2月に膵がんが分かって、治療を続けていたらしいです。
抗がん剤治療中で、2剤試したけど、効果が芳しくなく、3剤目を模索中の12月下旬に容体が急変して今月の2日に亡くなったとの事でした。
本当に急だったそうです。
メールを下さった先生と亡くなられた先生は年齢は一回り位離れていると思うのですが、同時に学校に入ったという事でした。
『もし先生がいなかったら、一か月で多分辞めていた』
とも書いてありました。
メールをくださった先生も含めてですが、私の個人的な印象だと今まで通った学校で一番癖の強い先生の集団と思っているので、大変だったのかなと思います。
だから、同期である先生の存在は強いものがあったのかと感じました。
メールの文面から憔悴しきっている感じなので、心配です。
やっぱり膵がんって厳しいな。
昨年の6月に亡くした伯父も膵がんだったし、父方の祖母も膵がん。
後は中高の国語の先生も確か56歳とかで闘病一年弱で膵がんで急逝したし、大学の先生も一人膵がんで闘病一年くらいで55歳くらいで亡くなられた。
エコーでも膵臓って見るの難しいし、膵がんって見つかった時、大体手の施しようがないことが多いし。
難しいな。
でも、エコーをいつも授業で担当されていた先生、『すい臓は見づらい』と常に言っていた先生。
だからこそ先生には早期発見で何とかなって欲しかったなと思いました。
コロナなので、葬儀などはご家族で済まされたようでした。
コロナが落ち着いたらメールをくださった先生がちょっと心配なので、学校に一回行ってみようかなと思ってます。
先生、学生時代も卒業してからもお世話になりました。
一回、研究日でお休みの日に遊びに行った時に『今日来てて良かったわ。』と言って下さったのは忘れません。
ありがとうございました。
闘病生活は大変で辛かったと思います。
どうかゆっくり天国で休んでください。
そして、たくさんの教え子達の活躍を見守ってあげてください。
ご冥福をお祈りいたします。
さようなら。