ここも氷川神社内にある。
参道を進み、本殿を左側に回り込んだ先に榛名神社の篇額の掛かる鳥居が見えて来る。摂社にしては凄く立派な鳥居だ。そしてその向こうに、何やら黒っぽい塊まりが見える。これがそうであろうと近付いてみると、ヤマ全面が黒ボク石で覆われた、高さにして3~4m程度の、、やはり、富士塚だった。
▲本殿の左脇を入った先に白っぽい立派な鳥居が見えて来る
▲更に進むと、これはもう富士塚だね!正面奥の黒ボク石の積み上げは。▲扁額
富士塚に行くと、出来れば登りたい。今回も正面からざっと見渡すが、どこにも登山道らしきものが見当たらない。登山道なしだと、ちょっと登りづらそうだ。で、ふと、富士塚右手側の書きものが目に入る。「山登り遊びは絶対にしてはいけません 社主」と書いてある。う~ん、子供が上り下りして怪我をする事故を予防したい注意書きなんであろう。今日は運動靴なんで、登ろうと思えば出来るけど、、しかし、登山道もないので、やめておいた。それなので、塚の撮影のみ。
▲全体が黒ボク石に覆われ、こちら正面から見える様に配置された講碑はどれも綺麗で、バランス良く配置されている。てっぺんには小さな祠も置かれている。
▲榛名神社の冨士塚って珍しくないかな。榛名神社の榛名って榛名山からきているのかな。榛名山も富士山みたいに円錐形の独立した姿をしているよね。榛名山を富士山に見立てて信仰していたんだろうか。
▲ここの講碑の文字は、「大願成就」が目立つ
塚の周囲は適度に空きスペースがあるんで、容易に一周することが出来る。正面から見ると、拝所から見える様にか講碑は正面を向いている。どれもが比較的綺麗なものばかりだ。てっぺんの小祠も石造りで、その中には榛名神社と彫り込まれた文字が見える。他でよく見掛けるのは、富士山のお札だったりするけど。
塚の裏手側も黒ボク石が満遍なく積まれて、形も円錐形の将に富士山の形をしている。
しかし、再び登山道の件だけど、帰宅後、この文書を書きつつ、撮った写真を見返していると、どうも登山道らしきものが見える、、、様な気がする。正面から見て、右下山裾から山頂へ向かって、一直線に延びている様に見えるけど、どうだろうか。ここの富士塚は、さっきの登るなの注意書き以外は説明版とかは見あらないので、謂われや歴史、現在の活動状況など分からないが、もしかして夏の山開きの時は登ったりしているのかな。
足立区のこの保木間あたりも、今は家が密集した住宅街だが、かつては一面田圃で、南西の遠くに富士山が見えたんだろうね。
▲塚を正面やや右側から見上げると、写真左下から山頂に向かって、急角度の道状のものが見える気がするけど、これって、登山道? 他の富士塚だと登山道って、所謂、「つづら折り」なので、この信玄棒道みたいのはたまたまそう見えちゃっただけなのかな。
▲裏側から見ても一様に黒ボク石が詰まれており、結構、手入れされているのかな。ってことは今でも富士講が生きている?っと勝手に想像。
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東京都足立区保木間一丁目11ー4 保木間氷川神社内
2022年(令和4年)3月20日・日曜日
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それと、この氷川神社、他にも見るべきものがあった。
この富士塚へ向かう参道の途中に、見慣れない石像がある。どう言う訳か乳房を露わにした姿だ。えっ、神社内にしては何か不謹慎な風だけど、何? そばの説明板に「天宇須女尊」と書いてある。「てんうすじょそん」?そんな読みじゃないだろうと、少し考えたら、、、「あめ、、、う、ず、、め」と読めた!そうだ、「あめのうずめのみこと」だ。天の岩戸を開けるために、岩戸の外で踊った神様だね。芸能関係や婦人病に御利益があるらしい。地元の氏子篤志家が奉納したとのこと。
その他、疱瘡神社と言うのもある。この手のものって、よく寺にある身代わり地蔵尊で見掛けるけど、神社になっているものもあるんだね。
▲天宇須女尊の石像
▲その隣には、疱瘡神社