富士塚を行く

身近な富士塚を見に行く
都内区部が多いが
その周辺地、遠隔地にも
足を延ばして見て歩いた記録

荒井の富士塚 【竹の子浅間】

2022年07月02日 11時57分29秒 | 富士塚

 今年の夏は新型コロナウィルスもやや収まり気味、、、と言うか、このウイルスの様子が分かって来たこともあり、この2年間中止されていた行事が、今年から再開するものが出て来た。6月中頃、県内の北本市内を仕事で歩いていたら、「山開き」の張り紙を発見!「今年はやるんだ」と場所を確認すると、北本駅近くの浅間神社だった。「よ~ぅし、今年はここだ~ぁ」と今年の山開きの7月1日の行く先を決めた。でも、ここ北本まで来るとなると、ここだけぢゃあちょっと物足らない。他に富士塚は無いのかなぁと探すと、同じ北本市内に、、、あった!。こちらは、駅からだいぶ離れた所にあり、ちょっと行きにくい。でも、行ってみたい。。。。で、当初電車で行こうかと計画していたけど、結局、車で両方の富士塚を巡ることにした。
 埼玉県は南北なら旧中山道とか国道17号線のイメージだ。新大宮バイパス(国道17号)⇒上尾道路(国道17号)⇒県道さいたま鴻巣線(県道57号)と、ほぼ一直線に進むと、この竹の子浅間の近くまで来られる。桶川を過ぎ、北本の石戸と言うところに入ると、だいぶのどかな雰囲気の場所になる。県道から中学校の裏の道を入り、道なりに進むと、左奥に真っ赤な居鳥居が見えて来る。きっと、これだろうと近付くと、果たして、目的の神社に到着。う~ん、、、ここまで実に1時間半。距離にして30km位あるのかな。

 ここは、浅間神社で富士塚なんだけど、今日7月1日なのに静かだ。特段、催し物は行っていない様だ。また、我々の他に、この富士塚を目指して来る人は見掛けなかった。矢張り、交通の便が悪いこともあってか、流石に観光的な目的で来る人は稀なんであろう。しかし、地元の人ですら来ない。ここの富士塚は既に富士山信仰とは無縁の神社になっちゃったんだろうか。冒頭、書いた山開きの張り紙は、駅近の方のもので、こちらを案内したものではない。こちらの張り紙等は見ていない。矢張り、こちらでは山開きはないんであろうか。神社の鳥居の横には町内会の集会所っぽい建物がある。ここも戸が閉ざされて、今日は無人だ。

 でも、ここで一番目立つのが、遠くからも見える真っ赤な鳥居。その鳥居には真新しい紙垂が注連縄から吊るされている。この紙で出来た紙垂なんて、ちょっとした雨風が当ると痛んじゃう。もっとも、ここ最近は連日気温35度の日々だから、雨には濡れて居ないんだろうけど、でも、この綺麗さは、この山開きに向けて取り付けた様に思えてならない。。。。と、言うことは、一部に今も富士山信仰かそれに近い人達が住んで知るのかなぁ、、、。

 ちょっと、今回は、だいぶ、前置きが長くなってしまったが、兎に角、富士塚に登ってみよう。
 ここの富士塚は、大きな土盛りの上に社が乘っかてる感じだ。都内とかの富士塚だと、社は社、富士塚は富士塚と夫々独立、別々に存在しているところが多いが、ここは、塚の上に、ど~ンと社が乘っている。
 では、その富士塚に登る様子だが、まずは何度も触れた、真っ赤な大きな鳥居を潜る。そして、短い参道を進むと、塚に登る階段が現れる。結構、急な階段で、頂上の社に向かって直登だ。まぁ、階段の両脇には手摺もあるので、そう怖いことはないが、塚全体が樹木で覆われており、階段を登ると上の方は薄暗い木の中になる。そうだ、富士山と言えば、麓には樹木が茂るが上の方は岩場で木々は生えない。でも、ここの富士塚だと、それが逆転しちゃってる。だから、富士塚と言っても、ちょっと第一印象が違う。階段を上り詰めると、社の拝殿がある。社は富士塚を覆う樹木の中だ。なので、頂上から周囲への眺望は取れない。

▲ここから富士塚に登る。随分長い階段だ。いや、それ以上に随分高さがある!そして、富士山の頂上は樹木で見えない!?ってちょっと富士山のイメージと違うね。

▲頂上には割としっかり造られた社が乘っている。それ程大きな富士塚だ。

▲今登って来た階段を覗き見ると、、、結構、高さがあるよ!本当に5mなんだろうか。。。
 社は入口が閉ざされており、中の様子は暗くて殆ど見えない。
扉戸の格子の間からカメラのレンズを入れて、中を覗くと、幾つかの板碑が見える。四角いものもあるけど、富士山をイメージする三角形っぽい形のものもある。書いてある文字はカメラのレンズの解像度が良くないので分かり辛いが、『遷社 初登山記念 奉納 浅間神社』『奉納 神徳不思議』(?)『奉納 御翠簾』『奉納 内宮 御翠簾』『奉納 参□記念』などが読み取れる。
これまで見て来た富士塚とは、書いてある文字が随分番う気がする。
 違うと言えば、富士塚の周囲には、所謂「黒ボク石」や「講碑」などは一切ない。埋もれたり撤去されたりとかでは無さそうだ。また、中道やつづら折りの登山道、小御嶽やら鈴原神社やらと言う、本当の富士山を模した、ミニチュア的な要素も一切無いようだ。

▲社の中には、何やら木の板に書かれたものが沢山あるぞ。いづれも古そうだ。

▲塚の周囲には竹が生えている。これだから「竹の子浅間」なのか!

▲神社に前は田圃が広がる

 -------<説明板>---------------------------------------------------
北本市指定有形民俗文化財 新井(あらい)富士塚(ふじづか)
                     平成二十五年三月二十八日指定
 「竹ノ子浅間」(たけのこせんげん)と呼ばれて親しまれているこの富士塚は、東西約二十八m、南北約二十七m、高さ約五mの規模で、頂には木造の社殿が建てられている。
 正面の石段は直線的に築かれ、西側には蛇行する下山道跡も確認できる。
 塚状に碑や富士溶岩(ふじようがんかい)などは配されておらず、麓には宝永四年(1707)の銘が刻まれた手水石(ちょうずいし)があることから、富士講以前の富士信仰による築造であると思われ、江戸時代前半に遡る富士塚として大変貴重である。
 富士山の山開きに合わせた六月三十日、七月一日には、その一年の間に生まれた赤ちゃんの健やかな成長を祈願する初山行事が行われている。
 平成二十五年三月
                       北本市教育委員会    

▲説明板

▲これが手水石だね

---------------------------------------------------------

 埼玉県北本市荒井二丁目 竹の子浅間神社内

 2022年(令和4年)7月1日・ 金曜日・12時頃・晴れ・気温35度


コメント    この記事についてブログを書く
« 北町冨士 | トップ | 東間の富士塚 【せんげんさま】 »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。