所在地は練馬だけど、以前行った赤塚の富士塚と近い地域にある富士塚。
参道を進むと、境内は石段を上がった先になるが、冨士塚はその石段の右側の傾斜地を生かしたものになっている。
▲参道脇の傾斜地を利用して富士塚としている様だ。5月のこの時期は、新緑が生い茂り、ここから富士塚そのものは全然見えない。
▲塚とは言い難いが、山肌は木が茂っているせいか薄暗い。黒ボク石であろうか、ちょっと荒れ気味の印象だ。斜面は途中までは普通に登れるが、その先は何処を登ればいいのか分からず、登頂は断念!頂上直下は丸太の土留めが痛々しいかな、、、。
▲仕方ないので、頂上の祠は望遠側で撮る。ここも、注連縄だけでお札等は納められていないかな。ちょっと薄暗くて分かり辛い。
▲ここには「鈴原神社」もある!
▲講碑らしきものはないけど、登頂記念碑はあった。
▲此れには「御嶽山大々記念」と記されている。こっちは御嶽講なのかな。
▲参道の石段を登って、富士塚の裏から祠辺りを見る。
▲説明板の中に、富士塚への記述もある。
--------<説明板>-------------------------------
氷 川 神 社
当社は、「大松の氷川様」といわれてきました。「大松」とは、旧地名で下練馬村の小字の名です。祭神は建速須佐之男命です。境内社に御嶽神社(日本武尊)、浅間神社(木之花開耶姫命)、稲荷神社(保食命)、白山神社(伊邪那美命)などがあります。
さらに、この神社の特徴として参道脇に富士塚があります。江戸時代中頃から、江戸を中心に盛行した、富士信仰の吉丸講によって築かれたものです。頂上の石宮は宮天保六年(1835)再建、塚中腹の御手洗石は同九年(1838)再建と刻まれていますから、それ以前の築造であることにちがいありません。ほかに明治・大正期の富士登山記念碑などがあります。ちなみに、鈴原神社の碑は富士山一合目にある同神社の登拝記念に建てられたものです。これらの境内社や石造物から当社は江戸時代より練馬付近の富士塚・御嶽講など民間信仰の中心であったことがうかがわれます。
○練馬区指定有形民俗文化財
氷川神社富士塚(平成六年度指定)
令和三年(2021)三月
練馬区教育委員会
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東京都練馬区北町八丁目20
大松氷川神社
平成31年4月3日(水) 12時頃 曇天