富士塚を行く

身近な富士塚を見に行く
都内区部が多いが
その周辺地、遠隔地にも
足を延ばして見て歩いた記録

大川冨士(千住川田浅間神社冨士塚)

2020年09月21日 14時46分20秒 | 富士塚

 この富士塚も荒川土手直下にある。

こじんまりとした富士塚ではあるが、合目石やお中道まである。講碑もそこそこあるぞ。でもこの規模の塚だったら丁度いいのかなぁ。登山道は石で造られており、安心して登れる。

 ▲高さ3m程度だが、道中には講碑の他に合目石、幾つかの登山ルートがあり、富士山が凝縮された感じだ

 ▲黒ボク石で覆われた塚には緩やかな石段があり、登頂出来る

 ▲頂上の石造りの小祠

 ▲富士塚側面(南側)から見る。後ろに見える朱塗りの建物が氷川神社

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 千住川田浅間神社富士塚(せんじゅかわだせんげんじんじゃふじづか)

 富士塚は、文政七年(1824)築造。祭神 木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)。現在地に移築される以前は、町の西北(元宿)川田耕地に、氷川社、稲荷社、浅間社が同じ境内に鎮座していた。

 明治四十四年荒川放水路開削工事開始に伴い、大正五年五月、現在地よりやや西側に移築された。その後、東京都の水道幹線工事のため、昭和四十三年六月現在地に移築復元され今日に至っている。

 塚は,冨士山の溶岩を積み上げ、固めて築造され、高さ約三メートルである。

 山頂に、天保二年(1831)銘の石祠が安置されている。塔碑が多く、最古の碑は、文政七年(1824)のもので丸藤惣同行冨士三十三度大願成就とある。

 この講社は、高田(早稲田)の身禄同行の枝講で、講銘を、丸藤千住十三夜同行と呼ぶ。講中は、千住五丁目と、千住大川町全域に及び、かっては、対岸の埼玉県を含む広範囲な地域の農民中心の講社であった。

 毎年七月一日祭礼が行われる。

    平成六年三月                               東京都足立区教育委員会

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 東京都足立区千住大川町12-3 大川町氷川神社内
 2020年(令和2年)9月21日 月曜日・曇りのち晴れ・26℃


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