はうちゃんは2021年5月15日(土)18:30頃、
余命宣告をされた日に走り書きでブログを書いたあと
ほどなくして息を引き取りました。
あの日は、
病院から帰宅後、ゆうが酸素ルームをレンタルしてくる間
テレビの前に寝そべったはうちゃんを横にブログを書きました。
そのあと寝そべった私のお腹の上にはうを乗せて
撫でている時はまだまだいつもの状態だったので
しんどいね、はうちゃん。
がんばってえらいね、はうちゃん。
大好きだよ。
一緒にいてくれてありがとう。
まだ離れたくないよ。
などと声をかけていました。
はうちゃんは私の目を見つめ、じっと聞いてくれていました。
引っ付け合っているお腹は温かくて、1.6kgの心地良い重みがありました。
その後、ゆうが帰宅。
酸素ルームを設置し、使い方を教えてくれました。
そしてはうちゃんが落ち着いていることもあり、
ゆうは今のうちにクリーニングの引き取りに行くと出かけました。
(まだ1〜2日一緒にいられると思っていたのだと思います)
ですが、別れは思ったよりも早く
お腹に乗せていたはうちゃんも床に降りたがったので降ろしてあげると
じっとしては、時折立ち上がり、すぐ座りこんでまた長らくじっとして、立ち上がり…
という状態でした。
(ここでものすごく偉かったのが、こんな状態なのに自分の家の方に走り、
トイレの中でおしっこをしようとしていました。間に合わず、床で漏らしてしまいましたが
動くのもしんどいのに本当に賢い子だと思いました)
そして、鼻のヒクヒクが大きく呼吸が荒くなり始めたので酸素ルームに入ってもらい
プラ板越しにはうを見ていました。
念のため、ゆうに「酸素ルームに入りました」と連絡を入れ、早めに帰るように言いました。
しばらくして、はうちゃんは頭をヒック、ヒックと時々動かすようになり
様子がおかしいのでゆうにやばいかもしれないから直ちに帰るよう電話。
そうしている間に酸素ルーム内で何度か姿勢を変え、
苦しそうに見えるのでどうしたらいいのか
酸素ルームの扉を開けたら酸素が逃げてしまうしどうしたら…と迷っていたら
はうが突然後ろ足を蹴り上げるように暴れて、扉が開きました。
すかさず抱っこして、腕の中でまだ少しもがくはうを落ち着かせようと
背中をさすっていました。
そしてブルブルと痙攣し、ピタリと一度止まった感じがしたので
私は慌てふためき、はうちゃん…!はうちゃん!はうちゃん!
と叫んでいました。
ゆうが大慌てで走り寄り、はうちゃん!と声をかけて太ももを撫でると
もう一度ブルブルと震えて
それから力が抜けたように、眠るようにスッと動きが止まりました。
その後、揺すっても心臓マッサージをしても動くことはありませんでした。
はうちゃんはゆうを待ってくれていたんだなと思いました。
私の腕の中で亡くなった。最期に抱きしめられて良かった。
土曜日(休日)だから仕事は休まなくて良くて、
まだ手術出来るかもと思って高い手術代も覚悟していたし、
介護になっても大丈夫なように酸素ルームも長期予定だったし、
余命宣告されてからは死に目に逢えないと嫌なので
月曜日はお休みして2日徹夜するつもりでいた。
(それでも眠気に耐えられず、死に目に逢えない可能性も考えていた)
家族みんなが揃うのを待って、寝てない時間に旅立ってくれたはうちゃん。
最期の最期まで、いい子だったはうちゃん。
大好きなはうちゃん。ありがとう。
余命宣告をされた日に走り書きでブログを書いたあと
ほどなくして息を引き取りました。
あの日は、
病院から帰宅後、ゆうが酸素ルームをレンタルしてくる間
テレビの前に寝そべったはうちゃんを横にブログを書きました。
そのあと寝そべった私のお腹の上にはうを乗せて
撫でている時はまだまだいつもの状態だったので
しんどいね、はうちゃん。
がんばってえらいね、はうちゃん。
大好きだよ。
一緒にいてくれてありがとう。
まだ離れたくないよ。
などと声をかけていました。
はうちゃんは私の目を見つめ、じっと聞いてくれていました。
引っ付け合っているお腹は温かくて、1.6kgの心地良い重みがありました。
その後、ゆうが帰宅。
酸素ルームを設置し、使い方を教えてくれました。
そしてはうちゃんが落ち着いていることもあり、
ゆうは今のうちにクリーニングの引き取りに行くと出かけました。
(まだ1〜2日一緒にいられると思っていたのだと思います)
ですが、別れは思ったよりも早く
お腹に乗せていたはうちゃんも床に降りたがったので降ろしてあげると
じっとしては、時折立ち上がり、すぐ座りこんでまた長らくじっとして、立ち上がり…
という状態でした。
(ここでものすごく偉かったのが、こんな状態なのに自分の家の方に走り、
トイレの中でおしっこをしようとしていました。間に合わず、床で漏らしてしまいましたが
動くのもしんどいのに本当に賢い子だと思いました)
そして、鼻のヒクヒクが大きく呼吸が荒くなり始めたので酸素ルームに入ってもらい
プラ板越しにはうを見ていました。
念のため、ゆうに「酸素ルームに入りました」と連絡を入れ、早めに帰るように言いました。
しばらくして、はうちゃんは頭をヒック、ヒックと時々動かすようになり
様子がおかしいのでゆうにやばいかもしれないから直ちに帰るよう電話。
そうしている間に酸素ルーム内で何度か姿勢を変え、
苦しそうに見えるのでどうしたらいいのか
酸素ルームの扉を開けたら酸素が逃げてしまうしどうしたら…と迷っていたら
はうが突然後ろ足を蹴り上げるように暴れて、扉が開きました。
すかさず抱っこして、腕の中でまだ少しもがくはうを落ち着かせようと
背中をさすっていました。
そしてブルブルと痙攣し、ピタリと一度止まった感じがしたので
私は慌てふためき、はうちゃん…!はうちゃん!はうちゃん!
と叫んでいました。
ゆうが大慌てで走り寄り、はうちゃん!と声をかけて太ももを撫でると
もう一度ブルブルと震えて
それから力が抜けたように、眠るようにスッと動きが止まりました。
その後、揺すっても心臓マッサージをしても動くことはありませんでした。
はうちゃんはゆうを待ってくれていたんだなと思いました。
私の腕の中で亡くなった。最期に抱きしめられて良かった。
土曜日(休日)だから仕事は休まなくて良くて、
まだ手術出来るかもと思って高い手術代も覚悟していたし、
介護になっても大丈夫なように酸素ルームも長期予定だったし、
余命宣告されてからは死に目に逢えないと嫌なので
月曜日はお休みして2日徹夜するつもりでいた。
(それでも眠気に耐えられず、死に目に逢えない可能性も考えていた)
家族みんなが揃うのを待って、寝てない時間に旅立ってくれたはうちゃん。
最期の最期まで、いい子だったはうちゃん。
大好きなはうちゃん。ありがとう。
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