
時間というのは、みなに平等に与えられているが人それぞれ観念・概念が違う。
パパと私は根本的に時間に対しての価値が違うので、驚きや発見、ぶつかり合いがよくある。
今日もそれ。
パパは、「子供が我がままで泣いていたら、ある程度放っておきなさい。」なのだけれど、私は「可哀相で、今すぐにでも泣き止ましたい。」のだ。
事の発端は、パパの腹痛だ。
パパはトイレにこもることが多いのだが、このたびの風邪でお腹が弱っているらしい。
何度もトイレに行っていたらしいが、私はお腹を壊しているのを知らず、「あぁ、またパパいないわ。」くらいだった。
でも、いずずが「カキ氷食べたいよう。」とカキ氷機を指して泣くので、早く泣き止ませてやりたくて、パパを呼んだ。
(私には、取り辛い場所にあり、またいずずを抱っこしていぶぶの相手もしていたので、手があいていなかった。)
「もうちょっと待って。行くから!」と言うので、暫く待ったが来ない。いずずの泣き声は大きくなるばかりで、私は焦っていた。
この「暫く」というのが、個々の時間の概念の差だ。パパにとっては、この暫くが「あっという間」であり、私にとっては「もう限界」なのだ。
いつも疑問なのだが、パパは走らない。走っても物の何秒しか変わらず無駄らしい。反していつも私は走っている。走ると何秒かは無駄にならないからだ。
24時間・・・。どうやって使うかはその人次第。
それが難しいのよね~。