98歳 文化交流と平和を守る

発明普及振興に勤しんでる現役98歳。「恩返しの人生」を送っています。ブログの原稿は息子に頼んでUPしてもらっています。

特殊潜航挺の基地が島根県にもありました。

2021-05-14 04:12:05 | 日記
美保基地資料館を後にし、かつてわたしが予科練に入り寝起きをしていた兵舎だったと思われる場所や特攻を志願し山口県熊毛郡平生町の柳井分校に向けて乗車した境港線大篠津駅などを見てまわり松江に戻りました。
車の中で明日の予定として島根半島の七類港に行く話しをしながら、資料館で数々の資料を見てまわったので、少しお腹が減りました。(笑)
コロナ禍で飲食店を探すのは大変でしたが、何とか食事をすることが出来ました。食後は、宍道湖畔にあるスタバでコーヒー。
スタバのコーヒーカップは大きいですね。
とーるというのですか?






島根半島にある七類港は隠岐の島に向かうフェリーが就航しているところは知っていますが、息子が蛟龍について色々調べいる時、そこに終戦間近に特殊潜航挺の基地が建造されていたという情報を見つけたそうです。
しかし、その基地建造跡が七類港のどこにあるかは判らないので、実際に行ってみようとなりました。

翌日、島根半島の七類港に行きました。九島(くしま)という小さな無人島がありました。
この島が、蛟龍の基地建造跡かも知れません。



七類区の自治会がある場所に行けば、蛟龍の基地建造跡についての情報の手がかりがあるばすだと思い、息子に行ってもらい聞いてみました。












受付をしていただいた方によると、先月蛟龍の建造基地跡に自治長を含め資料を保存している方達と島に渡ったとのこと。タイミング良く自治長さんがいれば詳しく話が聞けるはずなので連絡してみますと…。
本当にありがたいことです。
いわゆるアポ無しっていうのでしょうが、快く対応してくれました。

数分で自治長さんがいらっしゃりました❗️


実際に自治長さんは島に渡り蛟龍の建造基地跡を見てきたので色々とお話しを伺うことが出来ました。
更に、この基地跡について調べている戦後史会議・松江というグループがあることを教えていただき、島根県の戦争遺跡の資料保存をしているそうです。

わたしは、昭和20年の5月末に特殊潜航挺蛟龍の搭乗員になる為に山口県熊毛郡平生町に向けて移動した直後に、この蛟龍の基地建造が6月から始まったそうです。ということは当たり前かもしれませんが、この蛟龍の基地が建造されることは知らなかったです。
特殊潜航挺蛟龍については海軍の㊙️事項だったので一部の人しか知りませんし、ほとんど記録にも残っていないと思われます。特殊潜航挺は、回天か、蛟龍かも判らないほど資料が残っていないのです。
戦後史会議・松江の方々は、それでも地道に調査し現地に足を運び当時を知る人に訪ねて歩き、最近になってようやく蛟龍の基地建造跡だと判明したそうです。

わたしは長年にわたり特許の調査などをしてきましたから、地道な調査作業の大切さを知っている人間です。
今はインターネットで簡単に情報が早く手に入りますが、やはり現地に足を運ぶ大切さはインターネットの時代であっても変わらないと思います。
眼に入っただけの情報と体感した情報では、質はもちろんのこと自分の貴重な体験になります。
眼による知識だけではもったいない。
体を動かし使った時間は、必ず何かしらの結果となって自分に戻ってきます。
無理をしたら疲労が戻ってきますし、良き働きかけをしたら幸いが戻ってきます。

明日は、墓参りを含めた松江滞在最後の日です。
午後4時には大阪に戻ります。
それまでに、どうしても戦後史会議・松江の方にお会いし、出雲の大社基地跡にも行きたいと思い、急遽息子にアポを取ってもらいように頼みました。

明日は、明日の良き風が吹くことでしょう。